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【絶弦】(ぜつげん) [呂氏春秋本味](「断琴の交わり」の故事から) 知己に死別すること。その悲しみ。 伯牙絶弦。 《広辞苑・第六版》 春秋時代、晋の国に伯牙(はくが)という古琴の奏者がいました。 彼は琴に精魂を注ぎ、国随一の琴の名手といわれる人でした。 この伯牙には鐘子期(しょうしき)という友人がいました。 伯牙が曲を奏し、鐘子期が聴き入る。そんな二人の関係でした。 伯牙が高い山々の姿を思い描きながら琴を弾けば 「ああ、高くそびえ立つ泰山を見るようだ」 大河の悠々たる流れを思い浮かべながら曲を奏でれば 「洋々たる長江や黄河の流れを感じる」 と鐘子期は琴の音色から伯牙の思いを、感情の細かな動きの一つ一つまでも 読み取って誤ることがありませんでした。 伯牙が琴の名人だとすれば、鐘子期は聞くことの達人だったのです。 伯牙は鐘子期という無二の聴き手を得たことを喜び、深く感謝しました。 琴の音によって強く結び付けられた伯牙と鐘子期の友情でしたが、その友情 は鐘子期が病を得て帰らぬ人となったことで終わりを迎えました。 伯牙は鐘子期の死を知ると、愛用の琴を手に取り、弦を断ち切ってしまいま した。その後、一世の琴の名手といわれた伯牙が琴を弾くことはありません でした。 鐘子期という最良の聴き手を得てしまった伯牙は、その最良の聴き手を失っ たことで、琴を弾く意味も失ってしまったのでしょうか。 この伯牙と鐘子期の故事から、知己の死別の悲しみを表す「絶弦」という言 葉が、人と人の強い絆を表す「断琴の交わり」という言葉が生まれました。 また、自分自身を理解してくれる人を表す「知音」もこの故事から生まれた 言葉です。 本日のコトノハは、自分を理解してくれる人と出会えた喜びと、その人を失 う悲しみの深さを教えてくれる「絶弦」という言葉でした。 ◇「高山流水」の旅(おまけ) 古琴の名曲、「高山流水」(「流水」とも)は、伯牙が高い山々と大河の流 れを思い浮かべて作った曲といわれています。だとすると二千年以上も前に 作られた曲ということになりますが、今でも「高山流水」でYoutube を検索 するといくつか、演奏動画を見つけることが出来ます。 その一つがこれ。 https://www.youtube.com/watch?v=9rZcpG-u5o0 すごいことです。 しかし、「高山流水」という曲の旅はこれだけでは終わりません。 1977年の8月と9月、NASAによって相次いで打ち上げられた無人宇宙探査機、 ボイジャー1号,2号。 そのボイジャーには地球の生命や文化を伝えるための画像や音声を納めたゴ ールドディスクが積み込まれていました。そのゴールドディスクに納められ た「音」の中に、世界各地の代表的な楽曲の一つとして、「高山流水」の録 音が含まれているのです。 鐘子期を失って伯牙は琴の弦を絶ってしまいましたが、その伯牙が作った曲 は、今も生き続け、星々の間を旅しています。ボイジャーは既に太陽系の外 縁を越え、恒星間空間に足を踏み入れています。 ただ、恒星間の距離はあまりにも長く、ボイジャーがもっとも近くの恒星の 近傍を通過するまでには、4万年の時が必要です。 伯牙の作った「高山流水」の旅は、まだまだ続くようです。 もしかしたら、永い永い旅の果てにこの曲は、再び聴くべき相手に出会える かもしれませんね。伯牙が鐘子期に出会えたように。
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