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【五月晴れ】(さつきばれ) 1.さみだれの晴れ間。梅雨の晴れ間。 2.5月の空の晴れわたること。また、その晴れわたった空。 《広辞苑・第七版》 よく使われる言葉でもあり、またよく誤用の例として採り上げられる言葉で す。 1の意味が本来の意味で 2の意味で新暦の 5月に使う場合は「誤用」と 言われることもありましたが、最近は 2でも、もう誤用ではないのかな? 季語の観点からすると五月は『「五月」と書いて「さつき」と読む場合は陰 暦での五月を指す』とされるようで、季語の解釈とすればやはり辞書の語釈 の 1が伝統的な用法と云うことになりそうです。 ◇「さつき」と「五月」 暦の話として考えると睦月、如月、弥生・・・などの和風月名は自然暦と呼 ばれる素朴な暦から発していたと考えられます。 草が元気に生える月だから弥生(草木いや生いる月)、「さつき」はといえ ば稲作と強く結びついた言葉で、稲作の作業が始まる月という意味だろうと 言うのが一般的です。 こうしてみると、卯月、弥生、皐月(五月)という言葉には直接順番を表す 意味は見あたりません。皐月(さつき)はあくまでも田んぼの季節の始めと いうことを意味しただけでしょう。 それが中国から輸入した暦で見ると大体「5 番目の月」である五月と一致す ることから長い間に、「さつきといえば、五月」と考えられるようになり、 「五月(さつき)」と読むまでになったのでしょう。 ◇言葉は変わる? 田んぼの始まる季節が「五番目の月」だった旧暦の時代には五月は(さつき) で問題有りませんでしたが、現在の暦では平均して月の並びが一月分ほど早 い方向にずれてしまいました。 季語はその季節を想起させる言葉でしょうから現在の暦での「5番目の月」 を「さつき」と呼ぶことに抵抗が有るのでしょう。ですが「さつき=五月」 と書く習慣もまた我々からは容易に抜けるとも思えません。 とは言いながら、新暦で日常を生きる我々の歴史sももう150年、季語が我々 の生活と結びついた季節感を表す言葉だとすれば「五月」もいつまでも陰暦 の5月とばかり言ってはいられないでしょう。 新暦の5月といえば初夏の清々しい青空の広がる季節。新暦を使う時代に生 きて、5月といえばこの清々しい季節を思い出す人がほとんどとなれば、新 暦の5月の青空が「五月晴れ」と呼ぶことが正しい用法となる日も、やって くることでしょう(いや、もうやってきたかな?)。 伝統的な季語を大切にすることも、自分たちの感覚を新しい季語として取り 入れて行くことも、どちらも大切。一方だけが正しいとは言えません。 言葉は人間と共に変わって行くのですから。
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