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【天災は忘れた頃にやって来る】
 天災は、起きてから年月がたってその惨禍を忘れ
 た頃に再び起るものである。寺田寅彦の言葉とされる。
 高知市の邸址にある碑文は「天災は忘れられたる頃来る」。
  《広辞苑・第六版》

 本日は3/11。
 14年前の今日、東日本大震災が発生しました。
 私などにはまだ、生々しい記憶として残る東日本大震災ですが、それでも14
 年が経過すれば、この震災が発生した時には生まれていなかったという人も
 大分増えてきたでしょうし、そうではなくても東北地方から遠くなれた地域
 にお住いの方などであれば、記憶が薄らぎ始めているかもしれませんので、
 本日は、寺田寅彦のこの言葉を採り上げてみることにしました。

 寺田寅彦1878(明治11)~1935(昭和10)年に生きた物理学者です。博士は地球
 物理学的な研究や、金平糖の角等の身近な物理現象の研究で知られた方であ
 る一方で、優れた随筆や俳句で知られた文人でもありました。

 さて、この「天災は・・・」が寺田の言葉だとしたのは寺田の弟子の一人、
 雪の結晶の研究で知られた中谷宇吉郎博士でした。中谷博士はこの言葉が寺
 田の著作にあると紹介したのですが、このとおりの言葉は寺田の著作にはな
 く、寺田博士との会話の中に度々登場したことから誤解したものであったと
 後に中谷博士は随筆「百日物語」などで訂正しています。

 結果から見ればこの言葉を、文字として最初に残した人物は当の中谷博士自
 身ということになりますね。
 会話では頻繁にこの言葉を使ったという寺田博士は「天災と国防」の中で、
 文明の程度が進んでも一向に災害に対する備えが進まない理由として

  「天災が極めてまれにしか起こらないで、丁度人間が前車の顛覆(てんぷ
   く)を忘れた頃にそろそろ後車を引き出すようになるからだろう」

 と書いていることなどから「天災は・・・」という言葉をしばしば使ったこ
 とは想像出来ます。

 さて、「天災は忘れた頃にやってくる」に対して近頃は「天災は忘れなくて
 もやってくる」とも言います。自然現象だから人が忘れようが忘れまいがそ
 んなことにはお構いなしにやってくるものだということで、こう言い換えら
 れることもあるのでしょう。

 ただし、寺田博士が憂えたのは天災が起こることではなくて、起こった天災
 を教訓とした次の天災への備えが進まないことです。そうしたことを考えて
 言葉を接げば

  天災は「備えを」忘れた頃にやって来る

 と言っているわけです。
 天災の恐ろしさを忘れ、これに対する備えを忘れることで、備えていればい
 くらかでも防げたはずの被害の拡大を許してしまうことに対しての警鐘の言
 葉といえます。

 我々はまだ、天災そのものを防ぐことはまだ出来ませんが、天災が起こった
 後の被害をいくらかでも小さくすることは「備え」によって可能です。備え
 れば防げる災害被害を防がないなら、その被害は天災ではなく人災です。

 寺田、中谷両博士の使った「天災は忘れた頃にやってくる」は、過ぎてしま
 えば恐怖を忘れ、備えを忘れて幾度も、天災後の人災を引き起こしてしまっ
 ている人間の性に対する警句だととらえるべきものなのでしょう。

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