日刊☆こよみのページ スクラップブック(PV , since 2008/7/8)
■初夢 「一富士、二鷹、三なすび」 正月の一日と二日の間の夜に見た夢を初夢と言い、初夢によってその一年の 運勢を占う風習があります。冒頭にあげたものは江戸時代から縁起のよい夢 として数え上げられたもの。 さらに「四綿、五煙草」と続くそうです。 ◇なぜ大晦日の夜ではなくて、正月一日と二日の間か? この辺に関してはっきりした理由はわからないので推量の部分ですが、元々 大晦日からの年越し行事では、忌籠して眠らずに年神を迎えるというのが古 くからの伝統で、「大晦日に早く眠ると早く白髪になる」といった言葉が出 来るほど、夜更かしをするべき日だったのです。 この晩は本来眠らないわけですから、夢を見ることも有りません。夜が明け てから寝ることになりますが、夜が明けてから寝たのでは、ちょっ晩に見た 夢という感じではありません。 となれば「夜にきちんと眠る」最初の晩は正月一日~二日の間と言うことに なります。こうして初夢は一日から二日の間の晩に見た夢と言うことになっ たのだと考えます(どう思いますか?)。 ※後日追記 初夢は、1/2~3に見た夢だという場合もあります。2~3日説は江戸時代末に 拡がったものといわれています。1~2日説はそれ以前からあったものでおそ らくは 1日から2日説:新年で最初に見た夢 2日から3日説:仕事始めなどの年初行事が 2日からでこの日を実質的な年初 と考え、その後の最初に見た夢 と考えたのではないかと推測しています。 ◇初夢と宝船の絵 初夢によってその年の運勢を占うという行事は室町時代から拡がり始めたも のだと言われます。枕の下には、七福神を乗せた宝船や、打ち出の小槌など 縁起物を並べた宝づくしの図柄が描かれた絵を置きました。これによって吉 夢をみようとしたのです。 江戸時代には正月になると枕の下に置くための絵を売り歩く商売もあったそ うですから、かなり広く行われた風習のようです。 この絵は元は、米俵を描いただけの単純なものが、徐々に複雑になっていっ たものだと考えられます。ちなみに宮中では、今もって単純な俵の絵だとか。 枕の下に絵を置いて吉夢を見ようとする風習自体は中国から伝来したものの ようです(中国では、絵は夢を食べる動物と言われたバクの絵)。 ◇正夢と逆夢 前述の宝船の絵には、 「長き世のとをのねふりの皆めざめ波乗り船の音のよきかな」 という歌が添えられていたそうです。上記の文は始めから読んでも逆から読 んでも同じになる回文と言う奴です。 縁起のよい夢を見た場合はそのまま、悪い夢を見たときにはこれを逆夢だと 考えて「ひっくり返して吉とする」という考えからだそうです。 ◇一富士、二鷹・・・ 初夢で目出度いものとしてあげられる、 富士山、鷹、茄子、綿、煙草 ちなみに初夢で目出度いものとしてあげられた上記のものは現在の静岡あた りの名産品です。静岡県といえば、天下人となった徳川家康が晩年を過ごし たところ。どうやら天下人、徳川家康の「吉」にあやかろうと考えたものの ようです。 ◇初夢は夢の占い? それとも呪(まじな)い 現代の我々の感覚からすれば、初夢の夢占いはあくまでも運勢の善し悪しを 見るものですが、昔の人の感覚では、初夢はやがて起こる出来事の前兆であ り、夢で示された前兆に相応しい未来が訪れると考えていたように思えます。 単に占うためだけであれば、何も宝船の絵を枕の下に置く必要が無いはず。 それをするのは 目出度い初夢は、 ⇒ 目出度い未来を生み出す という図式が頭に有ったと思います。とすれば、宝船はよい一年がやってく るようにと、あらかじめ吉夢を見て運命をコントロールする呪いの一種と考 えられます。現代では初夢からこうした呪いの要素が薄らいできたからでし ょうか、近頃では枕の下に宝船の絵を入れるという伝統は大分廃れてきたよ うに思えます。 この記事をお読みの方の中には、宝船を枕の下に敷いて寝たという方がいら っしゃるでしょうか。 興味のあるところですね。
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