日刊☆こよみのページ スクラップブック(PV , since 2008/7/8)
■十二支と時刻 東洋の暦の話をすれば、触れないわけにはいかないのが十二支。 何度か書いてきたとおり十二支は元々は「十二ヶ月」を表すために生み出さ れたもので、元々は月の順番を表すための特別な記号として使われていまし た。現在我々が慣れ親しんだ十二支と神獣、子と言えば鼠といった関係は後 世に、一般庶民になじみやすいようにと考え出されたもので、元々の十二支 には動物と結びついた関係はありませんでした。 (ちなみに、十二支と動物を結びつけたのは支那の後漢王朝の頃とのこと) さて、元々は月の順番を表す記号だった十二支ですが、それ以後日にちや年、 時刻や方位までその使用範囲を拡げてゆきます。年や日との関係は何度か書 いて来ましたから、本日は時刻との関係について書いてみたいと思います。 ◇十二支と十二辰刻 十二支を均等に一日の時刻に割り振ると、 1つの干支が 2時間を表すことに なります。この均等な長さに時刻を割り振り、それを干支名で呼ぶ方法を十 二辰刻法と呼びます。 このときの 2時間を一辰刻といい、この「辰刻」を「とき」と呼びます。 この方法での時刻の呼び方は、子ノ刻とか、辰ノ刻となります。ただ、一辰 刻は 2時間と長いので少々大雑把過ぎるのでさらに半分にして前半の始まり を初刻、後半の始まりを正刻とし、卯ノ初刻、午ノ正刻等とも使いました。 また、初刻を上刻と言う場合もあり、辰ノ上刻などと使いました。 これでもちょっと大雑把すぎるなというときには、一辰刻を 1/4にして、一 つ、二つ、三つと数える方式もあります。 草木も眠る丑三つ刻(どき) などの使い方ですね。 十二支をときに割り振っておりますが、暦の上での時刻は昔から現在と同じ ように真夜中から始まりましたので、真夜中は子ノ刻、真昼は午ノ刻となり ます。現在でも一日を「午前と午後」に分けますが、この「午」は真昼が午 ノ刻でしたから、その前か後かということでこう呼ばれるようになりました。 また、真昼を「正午」というのも「午ノ正刻」から来た言葉です。これと反 対の真夜中も、正午ほど一般的な言葉ではありませんが「正子」と使う場合 があります。もちろん、「子ノ正刻」の意味ですね。 ◇「十二辰刻法」は定時法 「江戸時代の時刻は不定時法であった」とよく言われるのですが、これはか なり間違いを含んだ言葉です。 既に書いたとおり、十二辰刻法は一辰刻を 2時間とした「定時法」です。 一般に言われる、日の出や日の入りを基準とした不定時法というのは一般の 生活で使われたいわば非公式な時刻です(江戸時代に作られた最後の暦、天 保暦だけは、この不定時法による表記を取り入れています。実生活に合わせ て譲歩した結果でしょう)。 この不定時法は夜明けを明け六ッ、日暮れを暮れ六ッとしこの二つの「六ツ」 の間を六分割したものなので、季節によって夜と昼で使われる時刻の長さが 変わるというもので、夜明けから日暮れまでという当時の人々の生活には便 利な時刻系と言うことで、日常生活で使われていましたが、あくまでも非公 式な時刻系でした(天保暦をのぞく)。 十二辰刻法はあくまでも、季節や昼夜の長さにかかわらず 一辰刻 = 2時間 です。間違えないでくださいね。 ◇「子の刻の始まり」は何時? さてここでもう一つ、現在の私たちから見ると不思議なことがあります。 十二辰刻法の始まりは「子ノ刻」です。ところが子ノ刻の始まりと、一日の 始まりは同じではないのです。今の時刻で表すと、 子ノ刻 ・・・ (前日の)午後11時から、 1時までの 2時間 となります。ところが一日の始まりは現在と同じく真夜中(零時)です。つ まり子ノ刻の前半、子ノ初刻(上刻)は前日なのです。では、 今日はいつから というと、子ノ刻始まって 1時間後、「子ノ正刻」からということになりま す。実は既に「真夜中を正子」と言うと書いたのはこれを意味します。真夜 中は子ノ正刻なのです。 同じように真昼も「正午」。つまり午ノ正刻。午ノ刻の始まりである初刻は、 午前11時です。時刻を表す十二辰刻の始まりと一日の始まりが一致しないな んてなんだか不思議。いまのように一日の始まりは零時という感覚になれた 身としては、不便そうだなと感じてしまいますが、現実にそう使われていた のですからしかたがない。 ちなみに日常生活で使われていた時刻はどうなっていたかというと、 真夜中は、「夜九ツの始め」で、午前は「昼四ツの終わり」で終わる この点では区切りがいい(始めが「九」で終わりが「四」というのがなんだ か変ですが、これはまた何れ取り上げますので、今回は省略)。両者の関係 を見ると 子ノ初刻 ≒ 夜四ツ半 子ノ正刻 = 夜九ツ ついでに、 丑ノ初刻 ≒ 夜九ツ半 丑ノ正刻 ≒ 夜八ツ という具合になります。「≒」としたのは、定時法の「一刻(いっこく)」 と不定時法の「一とき」が同じ長さでは無いためです。 一つの時代に、複数の時刻系が使われていたためでしょうか、時代劇などで はたまに使い方がおかしなことがあります。時代考証の間違いかと言えば、 そうとばかりも言い得ません。何故かというと、どうやら江戸時代の人たち も、結構両者を混同して間違って使っていたようなのです・・・。 今の時刻系が単純で良かったと胸をなで下ろしながら、今日の暦のこぼれ話 を終えることに致します。
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