日刊☆こよみのページ スクラップブック(PV , since 2008/7/8)
■時の鐘 先日は、「お江戸の時刻」の話をしましたが、本日は江戸の時刻を告げた時 の鐘の話をします。 ちなみに、本日は「時の記念日」ということで、こんな話を選んでみました。 ◇公の時の鐘 江戸の町には幾つか「時の鐘」を打つところがありましたが公の時の鐘は、 日本橋本石町の時の鐘一つでした。 この本石町の時の鐘は、辻蓮宗という人物から始まり代々その子孫が世襲し て管理しました。何でもこの蓮宗という人物は家康公の三河時代からの顔見 知りで、蓮宗が江戸に出てきたときに家康に何かしたいことはないかと問わ れて 時の太鼓役に就きたいものです と答えたことから、時の鐘の役をいただき、以後は彼の子孫がこれを次ぐこ とになったのだとか。 時の鐘の役は、それに必要な時計やその他の道具は自前で揃えなければなら ないのですが、その代わりその鐘の音の届く日本橋界隈三百町の住民から料 金を徴収する権利を与えられました(ただし、武家は免除)。 その料金は一軒につき一月 4文。一年で48文だったそうです。 4文というといくらくらいでしょうか? 江戸時代に流行した「四文屋」という何でも 4文の食べ物屋がありましたが、 四文屋ではイモや豆腐などを串に刺したおでんのような食べ物がよく出され たと言いますから、その「おでんの価格」から想像すれば今の100円か150円 といった値段の感覚でしょうか。 時の鐘代が一月 100円なら、まあ妥当な値段だったように思えます。 さてこのときの鐘、始めは明け六ッと暮れ六ッだけに鳴らされていたようで すが、二代将軍秀忠の時代に、十二刻全てに鳴らされるようになります。 ◇その他の時の鐘 江戸の町は今の東京のイメージで言えばごく狭い範囲ではあったのですが、 それでも流石にこの本石町の時の鐘だけでは聞こえないところも多かったの でそのうちに、あちこちに時の鐘を鳴らすところが出来ました。 施設に大きな故障があれば幕府がお金を出してくれる本石町の時の鐘とは違 いますが、こうした「その他の時の鐘」も許可を得ていて、勝手に作ったも のではなく、周辺の町からやはり時の鐘の代金を徴収して運営していました。 そうした鐘ははっきり記録にあるものだけで九つあったとのこと。 ところによっては、 あっちでカーン、こっちでボーン と聞こえたことでしょう。 ◇ちょっとのんびりした「時の鐘」事情 これだけ時の鐘があれば、今と違って時刻の保持がさほど正確でなかったの でそれぞれの鐘毎に打ち鳴らす時間に多少の差が出てしまいました。 この早い遅いには単に時刻の保持だけの問題でなく人間的な要素もあったよ うで、例えば四谷天竜寺の鐘は近所に遊郭があったため、朝の鐘は早めに打 ったとか、市ヶ谷の八幡の鐘は近所の尾張家の屋敷に勤める人たちの勤めの 終わりが七ツだと言うことで、この七ツだけはこの勤め人達の要望で早く鳴 らしたとか。 なんだかひどいですが、長閑な時代ともいえますね。 こんな人間くさい理由で、鳴らす時間を「調整」してくれた時代と違って、 現在の時計は正確。私もぼちぼち仕事始めの時間ですので本日はこれまで。
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