日刊☆こよみのページ スクラップブック(PV , since 2008/7/8)
■辛酉革命(しんゆうかくめい) 何か書くこと無いかなと考えながら今日の暦データを眺めていたら今日の日 の干支は「辛酉(しんゆう)」でした。 この辛酉、暦の上ではある意味を持った干支ですので、今日はこの話をする ことにしましょう。 ◇辛酉は不吉な干支? 辛酉は「金の弟の酉(かのとのとり)」とも読みます。 辛酉を十干(天干)と十二支(地支)に分け、陰陽五行説で解釈すると、 辛: 金性 ・ 陰性(弟) 酉: 金性 というどちらも「金性」の性質を帯びています。 ここで言う「金」はゴールドの金ではなく、金属を表す言葉。金属は冷たく 往々にして武器(剣や槍など)を作る材料となることから「冷酷で危険な性 質」と考えられるようになりました。 辛酉の十干、十二支はいずれもこの冷たく、武器を連想させる危険な性質を 帯びたもので、その上「辛」は陰陽で言えば陰気に属するということで、こ の干支の日や年は人々の心が冷たくなり、凶悪なことが起こりそうな 嫌な予感がする日や年だ と考えられるようになりました。 中国では、この嫌な感じの「辛酉の年」には革命が起こって王朝が倒れる年 だと考えられ、これを「辛酉革命」とよんで恐れました。 ◇辛酉革命と改元 恐れるのは勝手ですが、恐れたところで六十干支が一回りする60年に一度は 必ず辛酉の年がやって来るわけですから、避けて通るわけには行きません。 そこで考えたのか、仮想の革命です。 仮想の革命とは何かというと、元号を改める、つまり改元です。 元号は統治者が変わったり、何か大きな変革があった年などに政治体制を一 新する意味で変えるわけですが、逆に改元することでそうした変革が行われ たことにしてしまおうというわけです。つまり改元は仮想の革命なのです。 さてこの辛酉革命の考えは中国で信じられていた迷信だったわけですが、日 本は中国から暦を輸入する一方で、この迷信まで輸入してしまい、この辛酉 の年には、これといった事件が無いにもかかわらず、改元するということが しばしばありました。 ◇最後の辛酉革命 明治以後は一元一世の制度となりましたので改元による仮想の革命、辛酉革 命は行われなくなりました。 最後に日本で行われた辛酉革命は何時かというと、これは1861年の万延から 文久への改元。万延から文久へと元号を変えていますが、この時の天皇は孝 明天皇で変わっていません。 ちなみに孝明天皇は、自分が天皇に在位していた期間に 嘉永、安政、万延、文久、元治、慶応 と6つも元号を作っています。 それにしても最後の辛酉革命は1861年ですから、明治となるほんの7年前。 迷信とは解っていても、迷信にもすがりたかった時代だったのでしょう。 ◇日本の最初の辛酉革命? 日本での最後の辛酉革命は1861年のことと書きましたが、では最初は? それは、紀元前660年。この年はもちろん辛酉の年。 この紀元前660年に日本で何があったのかって? あれですよ、あれ。クイズのつもりで考えてみてください。 さて、本日は辛酉の日。 人々の心が冷酷無惨になる日ですが、流石に日の干支の辛酉まで、辛酉革命 なんか行えません(なにせ、2カ月に1度巡ってくる)ので、この日は悪いこ とが起きないように注意して過ごし、各自で乗り越えましょう。 まあ、所詮は迷信ですけどね。 ※紀元前660年 神武天皇即位(したとされる)年です。
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