日刊☆こよみのページ スクラップブック(PV , since 2008/7/8)
■半ドンの日 今日の記念日によれば、本日は「半ドンの日」。その上、土曜日ということ で、条件がそろいましたので本日の話は「半ドンの日」としました。 今は官公庁や企業の多くが土日休みの週休二日制度を採用し、公立の学校も 同様に土日休み(ただし、学校は「週休二日制」とはいわず「週五日制」と いっています)となって久しく、今では「半ドン」という言葉は死語になり つつ有りますが、私にとっては懐かしい言葉。「半ドン」と聞くと、なんだ か、昔を思い出してうきうきした気持になります(歳がばれる?)。 ◇「半ドン」とは 週休二日制が導入される前は、官公庁や公立学校では土曜日は半日だけ勤務 と云う形態ととっていました。 朝普通に出勤し昼間までが仕事。午後はお休みという勤務の形態です。 公立の学校も同様で、授業は午前中だけでした。 私はこの「土曜半ドン」制度の時代に学校に通っていましたし、職場も土曜 半ドン制をとっていましたから、半ドンと聞くと懐かしくまた、楽しかった 記憶が残っています。 土曜日が一日休みになった方が休み自体の時間は長いのですが、こうなると ついつい朝寝坊して午前中はごろごろしてしまうというようなことが増えた ような気がします(お前が怠惰なのだといわれるとそれっきりですが)。 その点半ドン制が生きていた時代は、午前中は仕事ですから普通どおり朝起 きて仕事をしますが、昼になれば仕事は終わり、その後には楽しい休み、週 末が待っていると思えば、目の前にニンジンをぶら下げられた馬と同じで、 午前中の仕事など一瞬で終わってしまったような感覚でした。そして午後に なれば いよいよ休み、明日は日曜でこれまた休み! と黄金の時間がそこに広がっていた気がします。 ああ、バラ色の「土曜半ドン」だったわけです。 半ドンを体験していた世代の皆さん、どうでしたか? ◇土曜が半ドンとなった理由は? これは、太政官布告(現在の法律に相当)により明治 9年 3月12日から官公 庁が 土曜半休、日曜休日制 を採用し、民間も次第にこれに倣った結果です。 明治政府はそれまで、江戸時代の慣習を踏襲して官公庁の休みを「月の 1と 6のつく日(31日は除く)」としていたのですが、これだと諸外国との交易 等に不都合を生じると云うことで、休日を週を単位としたものに変更したこ とによります。 ◇「半ドン」の語源 なぜ土曜半休のことを「半ドン」というかには、次の二つの説があります。 ○オランダ語の休日を意味する言葉「ドンタク(zondag)」が江戸末期に長崎 の出島界隈から徐々に広がり、日本でも一部では休日という意味でこれを 使うようになり、土曜日は半分だけ休みだと云うことから「半ドンタク」 略して「半ドン」となったとする説。 ちなみに、この「ドンタク」の名残は「博多どんたく」などの名にみられ ます。 ○明治時代の午砲からという説。明治時代には、東京始めいくつかの主要都 市では正午になると時報代わりに大砲を発射(もちろん空砲です)してい ました。この大砲のことを午砲と云いましたが、一般にはそのドンッとい う大きな音から「ドン」呼ばれるようになり、土曜日はこの「ドン」が聞 こえるまでの半日の仕事と云うことで「半ドン」となったとするもの。 語源の話なので、どちらが本当とはなかなか云いにくいところですが、前者 の方が有力だと考えられているようです。 最後に、土曜日休みの話を延々と書きましたが、土曜日も仕事ですという方 も多いことと思います。お仕事中なのに延々と休みの話を書かれると、ちょ っと「カチン」ときたかも。ごめんなさい。 お仕事の方は、今日一日頑張ってください。 休みの方は、今日一日が楽しい休日でありますように。
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