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■定気法の二十四節気と2033年問題(その3) 日本で使われた太陰太陽暦、いわゆる旧暦のうち、最後に登場した天保暦は それまで、伝統的に使われてきた一年の日数を均等に分割して定める恒気法 の二十四節気をやめ、黄道を角度によって分割し、その位置を太陽が通過す る瞬間によって分ける定気法の二十四節気を採用しました。 定気法の採用によって恒気法時代では有り得なかった、1つの暦月に複数の 中気を含む場合が表れることが判ったのです。こうした場合、その暦月を何 と名付けるべきか。それまでの恒気法の太陰太陽暦で使われた方式は使えま せんでした。例えば十月中気(小雪)と十一月中気(冬至)は暦月に名前を つけるという機能において、優先順位など無かったからです。 恒気法では、1つの暦月の間に2つの中気が含まれる等ということは有り得な かったわけですから、中気と中気の間に優先順位を設ける必要など無かった のです。 1844年(弘化元年)に天保暦が使われ始めてから8年目、1851~1852年の間 に、暦月に2つの中気が含まれる月が初めて表れました。この問題を天保暦 の作暦者たちはどのように乗り切ったのかを見てみます。 朔の日 月大小 天保暦 含まれる中気(中気の表す月名) 1851/ 9/25 大の月 九月 霜降(九月) 1851/10/25 小の月 十月 -- 1851/11/23 大の月 十一月 小雪(十月),冬至(十一月) 1851/12/23 小の月 十二月 -- 1852/ 1/21 大の月 正月 大寒(十二月),雨水(正月) 1852/ 2/20 大の月 二月 春分(二月) 1852/ 3/21 小の月 閏二月 -- 1852/ 4/19 大の月 三月 穀雨(三月) ※朔の日の日付はグレゴリオ暦に換算した日付 「天保暦」の並んだ月名が実際の天保暦で決定された暦月名です。 天保暦の作暦者たちは、従来からの置閏法、 1.暦月は新月(朔)を含む日に始まる。 2.暦月名は暦月中に含まれる二十四節気の中気によって定める 3.暦月中に中気を含まない月は閏月(うるうづき)とする。 を次のように修正しました。 1.暦月は新月(朔)を含む日に始まる。 2.暦月中冬至を含むものを十一月,春分を含むものを二月,夏至を含むも のを五月,秋分を含むものを八月とする。 3.閏は2に背かない範囲で適当に配置する。 4.中気のない月でも閏月とは限らない (中気で月名が定まるものではない) ううーん、正直、無茶苦茶な感じの規則。 3,4の規則なんて規則と言ってよいものなのでしょうか? この置閏法の改訂によって1851~1852年の間に発生した問題は、とりあえず 回避されました。冬至を含む月を十一月、春分を含む月を二月と固定したこ とであとは、余った(?)月名を月名の順番に背かないように中気を含まな い月に押し込むと、とりあえず、恰好がつきました。やれやれ。 天保暦は、1844~1872年の間のわずか29年間しか使われず、その使命を終え た暦でしたので「暦月中に複数の中気を含む月」なんていうものは、1851年 のほかには、1870年(このときは十一月中気と十二月中気が同居)だけで、 こちらも、改訂した天保暦の置閏法で問題無く乗り切ることが出来ました。 そして、天保暦が1873年(明治6年)に現在の新暦(グレゴリオ暦)に改暦 されて、日本は旧暦時代のこうした問題とはおさらばいたしました。 のはずが・・・ ◇旧暦は私暦として生き残る 1873年以後は旧暦は、公的には姿を消してしまいましたので、これを管理す る人もなくなりました。それ以後も、民間では何となく使われ続け続けてい ます。こうした公的な暦でない暦を「私暦」などと言います。 旧暦は「私暦」として誰の管理も受けないまま、何となく現代まで生き残っ てしまいました。 誰も管理しないとは言いながら、計算の方法は判っていますし、置閏法も知 られていますから、真面目に朔望や二十四節気を計算し、置閏法を当てはめ れば、一応、その昔使われていた旧暦のようなものが出来上がります。 計算は昔と違って計算機(コンピュータ)が行ってくれるので、労力もかか らない。そんな手軽さから(?)、なかなか消滅しないのかも。 ま、「こよみのページ」でも旧暦らしき暦を公開していますから、偉そうな ことは言えないのですが。 しかし、正式にはわずか29年しか使われなかった天保暦では、全ての問題を 網羅して解決法を示しているはずはなく、希な例外が生ずる可能性は否定で きません。その希な例外が2033~2034年の間に表れます。 1851~1852年に出現した問題は、この問題の解決法を「決める」権限を持っ た公的な作暦者(この当時は江戸幕府の天文方)が居ましたから、例外が発 生した場合は 「この方式で対処することにする」 と公的な作暦者が決定すれば、それが「正解」になりました。 しかし、現在、私暦となった旧暦の問題に対して、「正解」を決定する権限 を持った人がいませんから、天保暦が想定しなかった例外が発生すると、正 解が判りません。というか、正解はないのです。こうなると、それぞれ勝手 に旧暦を作っている人毎に 「私はこれが正解だと思う」 となり、複数の「正解だと思われるもの」が並んでしまった。それが旧暦の 2033年問題です。 ◇2033~2034年の間の暦月と中気の並び 本日の最後に、2033~2034年の間の暦月と中気の並びを書いておきます。 皆さんも、それぞれに「私ならこうする」という案を考えて見て下さい。 朔の日 月大小 含まれる中気(中気の表す月名) 2033/ 7/26 大の月 処暑(七月) 2033/ 8/25 小の月 -- 2033/ 9/23 大の月 秋分(八月) 2033/10/23 大の月 霜降(九月) 2033/11/22 大の月 小雪(十月) 冬至(十一月) 2033/12/22 大の月 -- 2034/ 1/20 小の月 大寒(十二月) 雨水(正月) 2034/ 2/19 大の月 -- 2034/ 3/20 大の月 春分(二月) 2034/ 4/19 大の月 穀雨(三月) ※朔の日の日付はグレゴリオ暦に換算した日付 さて如何しましょう? 性懲りも無く「その4」につづく。 ああ、こんなはずじゃなかったのに!
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