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■「佐久間艇長殉職の日」 ふたたび
 本日、4/15は「佐久間艇長殉職の日」ということで、これまでも何度か取り
 上げてきた、この日の話を再び取り上げることにしました。
 こんな出来事があったんだと言うことを、少しでも多くの方に知っていただ
 きたいという、私の勝手な拡散活動です。

 こよみのページの「今日は何の日」には時々、あまり一般ではない記念日が
 登場することがあります。4/15の

  ◇第六号潜水艇遭難の日・佐久間艇長殉職の日

 も、そうしたあまり一般的ではない記念日の一つ。
 私が勝手に選んで載せている感じかな?

  今日は何の日 byこよみのページ
  http://koyomi8.com/cgi/today/today.php

 いきなり「佐久間艇長殉職の日」といっても、何の事かと思われる方が多い
 と思いますので、少々説明いたしておきます。

 佐久間艇長が殉職することとなった事故は、第六号潜水艇という国産第一号
 の潜水艇がその訓練中に瀬戸内海で沈没したものです。瀬戸内海は浅い海で
 すから、そこで沈没したからといって助からないとは・・・と今なら言える
 ことですが当時(1910年、明治43年)としては十メートルも沈んでしまえば
 救助の方法もなく、結局は全員死亡。引き上げられたのは遭難事故の2日後
 でした。

 潜水艦の事故の場合、乗組員は出口ハッチなどに殺到し、折り重なって死ん
 でいるといった悲惨な状態が普通だそうですが、引き上げられた第六号潜水
 艇では、それぞれが持ち場に着いた状態のまま息絶えていたということ、引
 き上げられた遺品の中から佐久間艇長が死の間際まで状況を冷静に記録した
 手帳が発見されたことなどから他に類を見ない事故事例として注目されるも
 のとなりました。

 佐久間艇長の手帳には、暗闇の中で手探りで書いたと思われる大きな文字で、
 事故が起こった原因や、この事故を教訓として改良しなければならない潜水
 艇の問題点、艇内で死ぬことになる乗組員の遺族に対する配慮を上官らに願
 う文面等が綴られていました。書き出しはこうです。

  小官の不注意により陛下の艇を沈め部下を殺す、誠に申し訳なし、され
  ど艇員一同、死に至るまで皆よくその職を守り、沈着に事を処せり、我
  れ等は国家のため職に倒れ死といえども、ただただ遺憾とする所は、天
  下の士はこの誤りをもって将来潜水艇の発展に打撃を与うるに至らざる
  やを憂うるにあり

  願わくば諸君益々勉励もってこの誤解なく、将来潜水艇の発展研究に全
  力を尽くされん事を。さすれば我れ等一つも遺憾とするところなし

 こう書き始められた佐久間艇長の手帳は、最後の瞬間まで職務を全うした海
 軍軍人の記録として、その原文と英訳とが米国の国会議事堂大広間に展示さ
 れているそうです。また、伝統的な海軍国として知られる英国でも海軍教育
 の中でこの事故について教えられているとのこと。

 かつてこんな人たちがいたのだと言うことを、同じ国に生まれた私たちが、
 もう一度思い出してもよいのではないでしょうか。
 それにしても、この文面を書いた時の佐久間大尉の年齢は32歳。今改めて読
 み返してみても、すばらしい文章。32歳でこれをね・・・人間の格の違いを
 感じずにはいられないかわうそです。

 佐久間艇長のこの手帳の全文は、

 佐久間艇長の遺書 ・・・ TBS ブリタニカ編集部編
 として平成12年に再び出版されましたので、今でも手に入れることができる
 と思います(他にも何冊か出されています。「佐久間艇長」で検索!)。
 手帳の最後は、

  瓦素林(ガソリン)ヲブローアウトセシシ積リナレドモ、
  ガソソリンニヨウタ
   一、中野大佐
   十二時四十分ナリ

 で終わっていたそうです(誤字脱字等、原文のまま)。
 以上、

  「第六号潜水艇遭難の日」
  「佐久間艇長殉職の日」

 を多くの人に知っていただきたいと、勝手に活動(?)しているかわうそで
 した。

◇ついでのついで
 佐久間艇長の出身地は、現在の福井県若狭町。
 この春の転勤で、若狭町まで車で1~2時間の場所に引っ越してきたので、何
 かの折に、若狭町に出かけてみたいと思っています。
 できれば、暖かい時期にね。

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