日刊☆こよみのページ スクラップブック(PV , since 2008/7/8)

■十日夜と三の月&月見の月の位置
 明日は旧暦の十月十日。
 十日夜(とおかんや)と呼ばれる日です。
 この日には「十日夜」という行事が行われていました(十日夜に「十日夜」
 という行事があるのは当たり前か・・・)。

 十日夜はどちらかというと東日本で多く行われていた行事です。
 藁鉄砲で地面を打ってもぐらの害を払うとか、大根の背が伸びて肥え太るの
 を祈るとか、もっぱら作物の豊穣を祈るという性格の民間行事です。

 十日夜の日は、田の神が一年の里での勤めを終えて山に帰る日だと考えられ
 ていました(稲の刈り取りはこの日までには済ませてしまわねばならないと
 考えられていました)。

 そのため、田の神が山に帰るその道筋にいると蹴散らされ、災いがあると考
 えられたので、この日には田んぼや山に足を踏み入れるのを忌む風習が各地
 にありました。

 また一方では、この日は「大根の年とり」ともいい、この夜一夜で大根が大
 きくなるといわれます。この日には大根の畑に足を踏み入れないという禁忌
 がありますが、その逆にこの日に大根の豊作を願って大根畑にぼた餅を埋め
 る地域もあります(「ふるさと東京民俗歳時記」の田無市(現西東京市)の
 風俗)。

 一見するとまったく逆のことのように思えますが、どちらもこの日に正月の
 神供に欠かせない大根に、神霊が宿る日と考えたことから生まれた行事と考
 えられます。十日夜には、神様は大根畑に在り? なんですね。

◇十日夜と亥子
 この東日本の十日夜の行事によく似た行事に「亥子」(いのこ)あるいは、
 「玄猪」(げんちょ)と呼ばれる行事があります。こちらは、西日本を中心
 とした行事です。その日取りは十月(亥の月)の亥の日となっています。
 (今年、2021年であれば、一昨日の11/11が旧暦の十月最初の亥の日)

 この日には田に足を踏み入れるのを忌むことや、子供達が藁鉄砲で地面を打
 つことが行われることなど、その内容は十日夜とよく似ています。

 こんなによく似た行事ですし、行われる時期もほぼ一致していることから、
 関東などでは両方の行事が交錯しているようです。例えば埼玉県川越市付近
 では、旧暦の十月十日を「十日夜」とも「田の亥子」ともよんでいたようで
 す。

◇三の月
 こうした行事の他にこの日の月を「十日夜の月」と呼び、中秋の名月の十五
 夜の月、後の月の十三夜の月に並ぶ三の月として、お月見の対象とされるこ
 ともあります。

 「中秋の名月」「後の月」に並ぶと書いてしまいましたが、これはちょっと
 言い過ぎ。前述の二つの名月に比べると三の月の影(光?)は大分薄く、あ
 まり三の月の月見の話は知られていません。
 それでも、長野県北安曇郡では、十日夜の月を「稲の月見」と呼び、この夜
 の月見を中秋の月見、後の月見とを合わせて三月見と呼ぶそうです。

 この日には、お月様と田んぼの案山子に餅一ずつ供えるのだとか。
 「稲の月見」は、もしかしたら借り上げられ、稲架に掛けられた稲が月を眺
 めるということからでしょうか。
 それにしても、お供え物が「餅一つ」とは、少々さみしい気がしますね。

 さて、稲の月見ではなくて、人の月見を考えると、この三番目の月見はちょ
 っと辛いです。だって、寒いですから。
 それでも、この時期の空は澄んでいますから、お月様の光は冴えています。
 防寒対策をバッチリ行って、冴え冴えとした初冬の月見もよいかもしれませ
 んね。

◇月見の月の位置
 中秋の名月(十五夜の月)、後の月(十三夜の月)、三の月(十日夜の月)
 という三つの月見の月の共通点として、三つの月の見える位置があります。
 この件については以前にも書いたことがあるのですが、月見の月の見かけの
 高さは、その夜の月の南中高度が50°前後でほぼ一定となります。
 高すぎもせず、低すぎもせずで見やすい角度です。今年(2021年)の三月見
 の月の南中高度は以下の通り。

  中秋の名月( 9/21) 53°
  後の月  (10/18) 51°
  三の月  (11/14) 49°
  ※計算地点はお月見の似合いそうということで、京都にしてみました。

◇お月見の月は「うお座」に在り
 三月見の月の見かけの高度が同じになるのは偶然の一致ではありません。
 三つの月はいずれも、星座で見ても同じ星座にあります。
 星座の南中高度は一年中同じですから、三月見の月が三つとも同一の星座の
 あるところにあるわけですから、南中高度がほとんど同じになるのも道理で
 す。その星座と言うのは「うお座」。

 なぜそうなるのかというと、それは三月見の日付の間隔に秘密があります。
 三月見の日付は、旧暦で八月十五日、九月十三日、十月十日。
 旧暦の暦月の日数は29日ないしは30日、平均すると約29.5日。
 この平均の旧暦月の日数から考えると

 中秋の名月から後の月までの日数・・・29.5 - 2 = 27.5 (28日)
 後の月から三の月までの日数  ・・・29.5 - 3 = 26.5 (27日)
 ※()は今年、2021年の実際の日数

 この日数に意味があります。
 月が星座の星々(恒星)の間を一巡りする期間を恒星月といいます。この恒
 星月の長さは約27.3日。前述したそれぞれの名月の日の間隔とほぼ同じです
 から、名月と名月の間隔でちょうど月は、星座の間を一回りして元の位置に
 戻って来る。だから同じ星座に見え、そして同じ見かけの高さに見えること
 になるのです。

◇お月見の月は「春分点」に在り?
 「うお座」といえば、現在の春分点のある星座です。ということは、お月見
 の月は天の赤道と黄道が交差する春分点の近くにあることになります。

  ほー・・・

 と、一瞬賢くなった気がしましたが、これは考えて見れば当たり前のことで
 した。中秋の名月は言わずと知れた旧暦八月十五日の月。旧暦八月は秋分を
 含む月。つまりこの月のどこかで太陽が秋分点を通過します。
 次に十五夜の月はほぼ天文学的な満月に一致する月ですから、月は太陽と黄
 道上で反対の位置(角度でいえば 180°離れた位置)にあります。

 秋分点付近にある太陽から黄道上で 180°離れた点といえば、春分点。
 つまり、中秋の名月の月は春分点付近にあることになります。後の月、三の
 月は既に書いたとおり、中秋の名月とほぼ同じ位置にありますから、こちら
 も同様に春分点に近い位置にあることがわかります。

◇月は婁宿にあり?
 徒然草、二百三十九段に

  八月十五日、九月十三日は、婁宿(ろうしゅく)なり
  この宿、晴明なる故に、月を翫(もてあそ)ぶに良夜とす。

 とあります。婁宿は中国の星座で、現在のおなじみの星座でいえばおひつじ
 座のγ,β,α星付近。ちなみにこの婁宿は中国星座の中でも暦とは密接な関
 係を持った星座で、月(や太陽)のある位置を示すため、選ばれた黄道付近
 の28星座の一つ(この28星座を「二十八宿」といいます。時代によっては、
 牛宿を除いた二十七宿が使われました)です。

 前段の『お月見の月は「春分点」に在り?」』で書いたとおり、お月見の月
 は春分点付近にあって、その星座は現在はうお座で婁宿のあるおひつじ座と
 は黄道十二獣帯の星座で1星座分ずれています。

 しかし、ざっと2000年ほど遡るとその時代の春分点はおひつじ座にあったは
 ず。とすると徒然草の時代の月見の月は・・・残念ながら徒然草が書かれた
 時代は1330~1349年頃といわれますので、そこまで古くはありません。

 ではなぜ、兼好法師は「月は婁宿なり」等と書いたのでしょうか?
 それは、当時日本で使われていた暦、宣命暦のためです。
 宣命暦は中国で作られた暦で、日本においてはその暦法に基づいて作られた
 暦が862年から823年間も使われました(すごい!、中国本国では822~892年
 までの71年間使われた)。

 この宣命暦は二十八宿でなく、二十七宿という方式を用いて年、月、日にそ
 れぞれの星宿を配当しており、この方式では八月十五日、九月十三日という
 「日」には何れも婁宿が配されていましたので、兼好法師は暦を信じてそう
 書いたのでしょう。

 実際には兼好法師の時代(というか、宣命暦が作られた時代でも)には、現
 実の月の位置と婁宿の位置は違っていたはずですが、実際に月の位置を星宿
 を使って測り、それによって暦法を組み立てていた時代には、きっと八月十
 五日や九月十三日の夜の月は「婁宿」にあったのでしょう。

 とすると、兼好法師が使っていた暦の基礎となる観測は現代からは2000年以
 上、兼好法師の時代からでも13~1400年ほども昔だったと言うことが推測で
 きます。

 暦にしても、月見のような伝統行事も、ほんと、一朝一夕では作られないも
 の何だなと感じてしまいます。
 あ、ただし、話のきっかけとした十日夜の月ですが、宣命暦で見ても、この
 十月十日という日は「婁宿」ではなくて、その一つ前の「奎宿」にあたりま
 す。あらら・・・。

※ちなみに、春分点の星座が変わるのは「歳差」と呼ばれる地球の自転軸の向
 きの変化のためです。
 気になってしまった人のための補足説明でした。

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