日刊☆こよみのページ スクラップブック(PV , since 2008/7/8)
■「今月今夜の月の日」の話 「宮さん、こうして二人が一処に居るのも今宵限りだ。・・・ 一月の十七日、宮さん善く覚えてお置き、 来年の今月今夜は寛一は何処で此月を見るのだか。 再来年の今月今夜・・・十年後の今月今夜・・・ いいか、宮さん、一月の十七日だ。 来年の今月今夜になったならば、僕の涙で必ず月は曇らしてみせるから」 (尾崎紅葉作「金色夜叉」から抜粋。説明に関係のない途中を適宜省略) 今日は金色夜叉の一部、有名な貫一、お宮の別れの場面の引用からスタート です。 正直に言って私は金色夜叉を読んだことは有りません(一部抜粋を読んだだ け)。ですがそれでも、 「来年の今月今夜、再来年の今月今夜、 十年後の今月今夜の此の月を、僕の涙で曇らせて見せます」 というフレーズがすらすら出てくるほど有名な場面です。 金色夜叉は、明治30~35年(1897~1902年)の間読売新聞に連載された小説で す(未完)。 さて、この金色夜叉と暦がどんな関係が有るかというと、それは 「今月今夜の月」 と言うフレーズです。 この熱海の海岸での情景の描写はどうやら満月の夜。連載が始まった年の1/ 17の月の様子を調べてみるとドンピシャ。 1897/1/17 は旧暦では 12/15。つまり十五夜の満月(天文学的満月はこの 2 日後でしたが)です。どうやら尾崎紅葉は、連載時点で既にこの場面を思い 描いていたようです。 さて、この場面で貫一氏が「来年の今月今夜、再来年の・・・」と言ったと き、氏の脳裏にあった月はきっと、その夜と同じ満月だったことは、この文 章を読む限り間違いないことと思います。ところがです、明治30年当時は既 に太陽暦。 もうお解りでしょう? そう、太陽暦の来年の今月今夜の月は、満月である はずがないのです。 貫一氏が言った、来年、再来年、十年後の月の様子をその日の旧暦の日付で 考えてみましょう。 今年 1897/1/17 ⇒ 旧暦 12/15 (十五夜・・・ほぼ満月) 来年 1898/1/17 ⇒ 旧暦 12/25 (二十五夜・・明け方の細い月) 再来年 1899/1/17 ⇒ 旧暦 12/ 6 (六夜・・・・上弦の月の前日) 十年後 1907/1/17 ⇒ 旧暦 12/ 4 (四夜・・・・三日月の翌日)) うーむ、何れも満月にはほど遠い。「三年後の今月今夜」とでも言えば十七 夜、立ち待ち月でしたから、満月に近いのですがそれではいかにも取って付 けたような浮いた台詞になりますしね。 ではなぜこんな言葉が出てきたのか。これが旧暦(太陰太陽暦)を使用して いた時代だったらこの名台詞の通りだったのです。尾崎紅葉の頭の中には旧 暦時代でなら常識だったこの事実があったのでしょうか。あるいは、旧暦時 代に「今月今夜の月」のような用法が慣用句としてあって、それを用いただ けなのか。この辺の事情は私には判りませんが、細かく見ると名台詞も 「あ、それおかしい」 と揚げ足とりの材料と化してしまいます。いちいち揚げ足とりしなさんなと 言われればそれまでですが。 それにしてもこの小説の連載開始が1897年ですから、太陽暦への改暦からは 実に24年も経過しています。それでもこんな「今月今夜の月」が同じに見え ると考える人が大勢いたと考えると、太陽暦の普及の難航ぶりが垣間見られ る気がしますね。
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