日刊☆こよみのページ スクラップブック(PV , since 2008/7/8)
■「彼岸の果て」のはなし 今日は、2022/3/24。3/18から始まった7日間の彼岸の期間の最後の日です。 少し前(2021/9/25以前)まで、この彼岸期間最後の日のことを 彼岸明け と書いていました。 雑節の一つとなっている「彼岸」の期間を計算する、Web こよみのページの 雑節計算のページ 暦の雑節 http://koyomi8.com/zassetsu.php でもこの日を「彼岸明け」と書いていたのですが「彼岸には明けはない」と いうことを知って書き直しました。 ◇彼岸は「明けない」の? 「NHKことばのハンドブック」(第2版、NHK出版) という本の「入り・明け」という項目に次のような解説がありました。 【入り・明け】 「寒の入り・寒の明け」 「土用の入り・土用の明け(一般には夏の土用だけ)」 「梅雨入り・梅雨明け」と使う。 ただし、「盆の入り(明け)」は使わない。 また、彼岸の場合は「入り」は使うが、「明け」は使わない。 とありました。おっと、お盆についても「入り・明け」は使わないと。 ただし、お盆の方については、以前気になって調べたことが有り、NHK放送 文化研究所のWEBサイトの「放送現場の疑問・視聴者の疑問」というページ に 「期間が3、4日と短いので「盆の入り(明け)」は、放送では使わない ことにしています。」 (8月の盆は「月遅れの」盆? https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/gimon/034.html ) こちらの方は、期間が短いので「放送では使わない」と言うことで、その表 現が正しいのか間違っているのかといった問題では無いようです。また、期 間の長さ問題なので「入り」も「明け」もどちらも使わないということなの で、納得もいくのですが、彼岸の方は違います。 彼岸の場合は「入り」は使うが、「明け」は使わない。 と、「明け」だけ使わないとあるので、これは何か理由がありそうです。 しかし、ここまで読者(私のこと)の注意を引いておきながら意地悪なNHK は、その理由を書いておいてはくれませんでした。 ああ、このままでは気になって夜も眠れない・・・こともないけど。 眠れないほどではないにしても気になって何冊か、手掛かりになりそうな本 のページをめくってゆくと、ありました! ◇彼岸に「明け」はない? 本日の暦のこぼれ話のタイトルそのままの『彼岸に「明け」はない?』とい う小見出しのついた本が見つかりました。 季節の道草事典 (倉嶋厚著、東京堂出版刊行) あ、お天気博士、倉嶋先生の本ですね。 読んでみると倉嶋先生も私と同じ「NHKことばのハンドブック」の記述を読 んで疑問に思われたようです。皆、同じですね。 私と違うところは、気になってNHKの用語担当の専門家にお尋ねなさったこ とです。流石!(ま、私だと取り合ってもらえなかったかもですけど)。 件の担当者が言うには、 『彼岸の本来の意義は、かなたの岸の「悟りの境地」に到達することであり そこからさらに明けてしまうことはない。』 のだとか。そう言われてみれば確かに、悟りにの境地にたどり着いたのに その状態から「明ける」必要は無いですね。ある意味、論理的? とはいってもね、明けないはずの彼岸がまた半年後にはやってくることを 考えると、現実問題として存在する彼岸の期間の終わりをどう表現するべ きなのか、こよみのページのかわうそ@暦の立場では悩ましいところ。 彼岸の期間の終わり と書いてしまうのがいいのかな? でもなんか、無味乾燥でつまらないよ うな気がしちゃうな。困っちゃうな。 文才無く困ってしまうかわうそとは違う倉嶋先生はといえば、 『もっとも、人は毎年、春と秋の二回、彼岸に到達しようとしますから、 彼岸を目指して煩悩の川を渡り続けるのが人の一生であり、その意味で も「明け」はないのかもしれません。』 と解説の文章を締めくくっていました。流石・・・。 この説明通りだとすれば、春の彼岸の最後の日である今日は、秋の彼岸へ 向けて歩み出す第一歩の日にもなるのでしょうかね。 とはいっても、やはり彼岸の期間の終わりを示す表現が欲しい・・・。 その結果見つかったのが「果彼岸」「満彼岸」という言葉。なるほど。 これは使える! ということで、現在は「彼岸明け」ではなくて「彼岸の果て」という表現に 変えています。 そんなわけで本日は、彼岸の果ての日。 明日からは秋彼岸に向けて、また一歩一歩歩いていくことになりますね。 ※「お彼岸の話」 http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0730.htm もよろしくね。
日刊☆こよみのページ スクラップブック