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■二つの復活祭の日
 本日は土曜日、そして明日の日曜日(2022/4/17)はキリスト教教会の復活祭
 (イースター)の日です。

 現在普通に新暦と呼ばれている暦はグレゴリオ暦に則った暦です。この暦の
 名前となっている「グレゴリオ」とは、16世紀のローマ教皇、グレゴリウス
 十三世の名です。グレゴリオ暦は1582年の途中から、それまで使用されてい
 たユリウス暦に替わって使用されるように暦です。

 暦にローマ教皇の名が冠されるのはユリウス暦からの改暦を命じたのが、こ
 の教皇であったからです。
 でもなぜ、「暦」の修正にローマ教皇が関係しているかでしょうか?

 それは、キリスト教教会にとってもっとも大切な行事である復活祭の日付と
 暦が密接に関係しているためです。

◇復活祭の二つの日付
 この復活祭の日付ですが、西方教会(カトリック、プロテスタント他)と東
 方正教会(ギリシャ正教、ロシア正教他)とでは異なった日付となることが
 有ります。異なった日付となる場合があると書きましたが現実には、異なる
 ことの方が多く、最近の 5年を見ると次のような日付となります。

  2020年 西: 4/12  東: 4/19 (J 4/06)
  2021年 西: 4/06  東: 5/02 (J 4/19)
  2022年 西: 4/17  東: 4/24 (J 4/11)
  2023年 西: 4/09  東: 4/16 (J 4/03)
  2024年 西: 3/31  東: 5/05 (J 4/22)

 ()内の日付は、この日に対応するユリウス暦の日付です(東方正教会はユリ
 ウス暦の日付で復活祭を計算するため)。

 今年は西方教会系と東方正教会系では、復活祭の日付が異なっています。と
 いうか、2020~2024年の5年間を見る限りでは、一致する年は一つもありま
 せんでした。では、全然一致しないのかというと、そういうわけでもありま
 せん。もうちょっと調べる範囲を拡げてみると

  2017年 西: 4/16  東: 4/16 (J 4/03)
  2025年 西: 4/20  東: 4/20 (J 4/07)

 のように一致する年もあります。
 ただし、5~6年に1回くらいの割合です。

◇暦と復活祭の日付
 復活祭とは、イエスが十字架にかかった三日後にキリストとなって復活した
 ことを記念した日で、キリスト教における最重要祝日です。

 キリスト教には様々な祝日があり、キリスト教圏の国々ではこの祝日を記録
 した教会暦に沿って長い間一年を過ごしてきました。その教会暦において、
 もっとも大切な祝日が復活祭で、他の多くの祝日は復活祭の日付との関係で
 決められていました。

 ところが困ったことにこの復活祭の日付は毎年一定では有りません。どのよ
 うに決まっているかというと、およそ次の通り

   復活祭は、「春分の日」以後の満月の日の後の最初の日曜日

 実際の計算にはもう少し細かな規則を考慮しないといけないのですが、基本
 は上に書いた規則です。

 なぜこんな規則が生まれたかといえば、それは聖書に記されたキリスト復活
 の日です。聖書によればイエスは、過越しの祭礼の時期にエルサレムに入城
 し、間もなく捕らえられて十字架にかけられます。この日付が有名な

   十三日の金曜日

 です。そして復活の日はこの日から数えて三日目(つまり日曜日)。
 これが復活祭の日付を決定する元になります。

 過越の祭礼は、ユダヤ教の過越節(すぎこしのせつ)。過越節はユダヤ暦の
 「ニサン(Nisan) の月十五日」に行われます。ニサンの月はグレゴリオ暦や
 その前身であるユリウス暦の三月に相当する月です。

 ところでここに問題があります。それは、ユダヤ暦は太陰太陽暦で、太陽暦
 であるグレゴリオ暦やユリウス暦とは、年ごとに月の関係が変化してしまう
 こと。更に、どの月がニサンの月になるのか、その月の始まりはいつかとい
 ったことは最終的にはユダヤ人会議がこれを決定することです。

 もし聖書の記述の通り、ユダヤ暦から復活祭の日付を求めるとすれば、自分
 たちの信仰するキリストの復活の日(いわば、神様の誕生日)が異教徒が決
 める暦によって左右されることになるわけです。

 キリスト教教会としては、これはどうしても受け入れがたい事柄です。
 そのため、ユダヤ暦によらずに独自に復活祭の日付を求める方法をいろいろ
 と研究することになりました。

◇ユダヤ暦から独立した復活祭の日付
 ユダヤ暦によらないとはいいながら、だからといって復活祭の日付はなんで
 も良いというわけにはいきません。出来るだけ聖書に書かれた事柄を忠実に
 再現したいのです。そこで計算の規則を考える上で、聖書に書かれた次の事
 柄に着目しました。

  1.過越節はユダヤ暦の「ニサンの月」にある。ニサンの月は、ローマ暦
    (当時はユリウス暦)の 3月に相当する月である。

  2.過越祭はニサンの月の15日に行われる。太陰太陽暦であるユダヤの暦
    の15日は、満月の時期である。

  3.イエスが十字架に掛けられたのは金曜日で、その日から三日目にキリ
    ストは復活した。つまり、復活の日は日曜日である。

 ローマの暦では、 3月は春分の日を含む月です。またローマでは春分を一年
 の初めであるという春分年初の伝統が有りましたから、 3月はその年の始ま
 りの月でもあります。義の太陽とも呼ばれ、また世界と時間を支配する者で
 あると考えられるキリストの復活を祝うには、この春分の時期は最適の時期
 でした。こうした条件から生まれた復活祭の日付の計算規則は

  復活祭は、「春分の日」以後の満月の日の後の最初の日曜日

 というものでした。

◇復活祭の日付の統一
 ローマ帝国では当初キリスト教は禁教で、キリスト教徒の弾圧がしばしば行
 われましたが、AD 311年に信教の自由を認めた勅令(ミラノ寛容令)が発せ
 られて以来、キリスト教は公の活動が出来るようになり、急速にその勢力が
 拡大します(キリスト教がローマ帝国の国教となるのはAD 380年のこと)。

 こうして広大なローマ帝国およびその周辺国にキリスト教が広がってゆくと
 困った問題が発生しました。それは、それぞれの地域の教会が行う復活祭の
 日付が異なることがあることです。

 大まかな復活祭の日付の決定方法は決まっていましたが、細かな解釈のちが
 いによってしばしば教会毎に計算の結果が違って、この異なった復活祭の日
 が出来てしまったのでした。

 この問題を是正するため、キリスト教最初の公会議(教義や教会法制定のた
 めに世界の教会、修道会等の代表者が一同に会して行う会議)がAD 325年ニ
 カエア(Nicaea)で開かれました。この会議でそれまでいくつかあった復活
 祭の日付の決定方法が統一され、これ以後は全ての教会で同じ日付に復活祭
 が行われるようになりました。

 なお、このニカエア公会議で「春分の日は3/21とする」ことも決定されたた
 め、キリスト教圏の多くの国々では今でも天文学的な春分の日ではなく、こ
 の固定された春分の日を用いることが多いです(日本は天文学的春分日に基
 づいています)。

◇再び分裂した復活祭の日付
 ニカエア公会議でひとまず復活祭の日付は一つにまとまりました。
 ところが長い年月の間に、思わぬ問題が現れてきました。それは春分の日が
 3/21であることと関係します。

 ニカエア公会議が行われた時代はユリウス暦が使われており春分の日は3/21
 という定義もユリウス暦の日付による定義です。
 このユリウス暦には暦の一年の長さが実際の一年よりわずかに長いという欠
 点があります。因みに、どれくらい長いかというと1年で11分ほど。
 
 わずか1年に11分の差ですが、長い年月の間にはこれが積もり積もって10日
 以上も暦の上での春分と天文学的な春分の日付がずれてしまいました。この
 ままでは流石に問題があると言うことでAD1582年にローマ教皇グレゴリオ十
 三世が改暦を命じ、以後使われるようになった暦が現在我々が使っているグ
 レゴリオ暦です。

 この改暦ですが普通に考えれば「春分の日」を改暦当時(AD1582年頃)の天
 文学的な春分日であった、3/11に変更するところでしょうが

  「春分の日は3/21とする」

 とニカエア公会議で決定されていますから、春分の日を変更することはせず
 に日付を10日間ずらす(10日間を暦から削除)するという操作をしました。
 暦の連続性より、教会の決定事項を優先した改暦だったわけです。

 復活祭の日付も以後はこの暦に沿って計算されるようになり、従来からの計
 算方法を若干修正して運用するようになりました。
 さて、これだけでは「復活祭の日付が二つ」になることは有りません。では
 何が問題なのでしょうか?

 この問題は暦の問題ではなく、キリスト教の教会間の問題でした。
 この時代には、キリスト教は既に一枚岩ではなくいくつかの宗派に分裂して
 いました。そしてこのグレゴリオ十三世の改暦は、あくまでもローマ教皇を
 頂点とするカトリックだけに通用する改暦であるとして、他の宗派はこれを
 認めず従来の暦、従来の計算方法を踏襲したのです。

 グレゴリオ暦はそれまでのユリウス暦に比べて暦としては優れたものであっ
 たため、カトリック以外の宗派やキリスト教以外の国々にも徐々に浸透して
 ゆきました。

 ですが、それでも宗教行事については、ニカエア公会議当時の暦(ユリウス
 暦)を用い、当時の規則を遵守して計算するという宗派があり、この結果、
 再び復活祭の日付は二つに分かれてしまいました。

 現在カトリック他、西方教会と呼ばれる教会では新しい暦、グレゴリオ暦に
 よる復活祭を、ギリシャ正教他の東方正教会と呼ばれる教会ではユリウス暦
 による復活祭を祝っています。

 復活祭の二つの日付を見る度に感じるのは、「暦」は善くも悪くも人間の生
 きてきた歴史を反映して作られたものなのだなということです。

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