日刊☆こよみのページ スクラップブック(PV , since 2008/7/8)
■大正月と小正月 明けましておめでとうございます。 今日は令和5年(2023年)の元日です。 「元日」ってことは、もう話題は一つ(ってわけじゃないけど)、お正月で すよね。 そんな前振りから始まる本日の話は 「大正月(おおしょうがつ)」と「小正月(こしょうがつ)」です。 ◇大正月とは 大正月とは、簡単に言ってしまうと「元日から始まる正月」ということが出 来ます。 元日から始まるって、ただの正月では? と思われると思いますが、そのとおりで現在行われている主な正月行事はこ の大正月に含まれる行事と考えて間違いないでしょう。これをわざわざ大正 月と呼ぶのは後で書く「小正月」と区別するためです。 大正月の言葉は専ら関東や東北で使われる言葉です(え、そうなの? 皆使 うんだと思っていたと東北出身の私はちょっと驚き)。 大正月の期間は元日から松の内と呼ばれる期間(三箇日とする場合、七日ま でとする場合などの違いがあります)とするのが一般的ですが、もうちょっ と長くて、鏡開きまでとか、小正月が始まる日(一般的には十五日)の直前 までと言うところもあり、まちまちといった感じです。 大正月は別名「男正月(おとこしょうがつ)」とも呼ばれ、主として正月の 公的な側面を担う正月です。主に公家や武家、あるいはこれと係わる商家な どが行っていたものといわれています。 大正月の行事は、年男(一家の主、または長男など)が主導して行うものが 多く、ここから男正月の名が生まれたともいわれます。 大正月の期間に行われる行事としては 若水、初詣、七草の節供、鏡開き 等があります。 ◇小正月とは 公的な性格の強い大正月の行事にたいして、小正月(こしょうがつ)は家庭 や地域の行事が中心となります。その行われる時期で見ると大正月は元日を 中心とした行事であるのにたいして、小正月は正月の十五日を中心とした行 事です。 小正月の期間も、大正月と同様で地域により違いがありますが、多くは十五 日と十六日としているようです。他には「十四日年越し」と呼ばれる十四日 からとするところもあり、終わりも二十日頃までとするころもあります。 小正月行事は、狭い地域だけで行われる行事も多く、多種多様ですが、比較 的広く行われる物としては、左義長やどんど焼きと呼ばれる正月に迎えた年 神祭の終わりを告げる火祭りや、餅花飾りや繭玉飾りに見られるような農耕 の予祝行事と考えられるものがあります。 また、十五日の小豆粥を竹筒に入れて、入った小豆の数によって豊作を占う とか、新婚の夫婦の花嫁の尻をたたいて豊作を祈るなんていう、今の時代か ら見ると奇祭のように見える行事を行うところもあります。 大正月はどちらかと言うと年男が主となる男性中心の行事が多いのに対して 小正月は一家の主婦が主導する行事が多く「女正月(おんなしょうがつ)」 と呼ばれることがあります。ついでですが、小正月には異称が多く、拾い出 してみると 女正月、二番正月、望正月(もちしょうがつ)、花正月、若年 等というものがあります。 ◇大小の正月とお月様 大正月と小正月、どうして正月行事が二つに分かれたのでしょう? このあたりには暦とその基準となるお月様の違いが関係していると考えられ ます。ではその辺の事情を考えて見ましょう。 日本の各地には古い時代から受け継がれてきた様々な年中行事がありますが 年中行事が行われる日付を眺めてみると、まんべんなくあるのではなくて偏 りが見られます。どんな日が多いのかと言えば、 一日(ついたち、朔日)と十五日 です。確かに、1日とか15日は「今日の記念日」の情報は多いと日刊☆こよ みのページを作っていると、毎月実感することが出来ます。 さてこの日付を見て、何か思い浮かびませんか? 現在我々が使っている新暦では、暦月の始まりの日と半ばの日と言う意味し かこの日付にはありませんが、太陰太陽暦の一種である旧暦ではそれぞれが 「新月(朔)の日」と「満月(十五夜)の日」 という意味を持ちます。 正月の行事も、この新月の日と満月の日を中心として行われる行事の一つで す。そして、新月の日を中心とした正月行事が大正月で、満月を中心とした 行事が小正月です。 新月を中心とした行事は、新月を暦月の区切りと考える中国式の暦が導入さ れてから、これにあわせて行われるようになったもので、満月を中心とした 行事はそれ以前から行われていた、より古い行事だと考えられています。 なぜなら、行事を暦の区切りの日、正月の場合は一年の最初の月の最初の日 を中心に行うのはわかりますが、その区切りとして「見えない月」である新 月を用いると言うことは、その「見えない月」という日が何日なのかを予測 出来るほどに天文学、暦学が発達してからでないと困難なのです。 その点でいえば満月は月を直接見て決めることが出来るものなので、より単 純な現象です。 暦を作る上で重要なのは、その周期の長さであって起点ではありませんから 月の満ち欠けの周期を知りたいのであれば、新月から新月までを測るより、 満月から満月までを測る方がずっと判りやすい。このため原始的な太陰暦は 満月を起点として朔望の周期を組み立てていたと考えられるのです。 この様に初期の暦は満月から満月までで一区切りという暦であった可能性が 高く、もしその時代から新しい年の始まりを祝う行事が行われていたと考え ると、その行事は当然当時の暦の区切りである満月の時期に行われていたと 考えられます。 満月基準の素朴な太陰暦が使われていたところに、七世紀頃に中国から新月 を暦の起点とする進んだ暦が導入され、朝廷がこれを正式に使い始めると、 こちらが正式な暦となりますから暦の区切りで行われていた行事は、満月の 時期から新月の時期へとその時期を移動したのではないでしょうか。 「暦との関係」では暦の区切りが満月から新月に移動したことで行事の時期 は移動して当然ですが、その一方で「月の明るい時期」に行うという面で行 事を捉えると、暦の定義が変わっても行事の時期が移動する必要はないわけ です。この二つの関係から 1.暦にあわせて満月から新月に時期を移動した行事 2.月の満ち欠けにあわせて、暦が変わっても時期が変わらなかった行事 3.一つが二つに分かれてしまった行事 といったパターンが出現したのではないでしょうか。 正月行事はこの3のパターンで、国家の行事としての新年行事は新しく正式 な暦の区切りとなった新月を中心とした大正月の行事となり、地域や家庭な ど私的な性格の強い行事は、昔ながらの満月の時期、小正月に祝われる形で 残ったのではないかと考えられます。 こう考えて行くと、大正月には公的な行事、社会的な行事が多く、小正月に は家庭内の行事や、農耕に係わる予祝行事などが多く残っている理由もわか ります。こう考えると小正月は「古い時代の正月」の姿を残したものと言え そうです。 正月行事は、小正月まで含めると二十日頃まで断続的に続きます。 と考えれば、私としては採り上げられる話題が沢山。ならば、焦らず、少し ずつじっくりと正月行事を考えることが出来るというもの。今日のところは このくらいで止めておくことにしよう。 本当は、書き始めてから「収拾がつかなくなってしまった」と焦っているだ けですがね。ま、正月早々、嫌がらせレベルの長いメールマガジンというの も何ですから、なんか中途半端になってしまいましたが、新年最初の暦のこ ぼれ話はこれまでとさせて頂きます。
日刊☆こよみのページ スクラップブック