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■日本の「紀元」の話
 本日は「建国記念の日」。目出度い祝日です。
 というわけで、本日は建国記念の日について・・・といいたいところですが
 それではあまりにありがちな展開。有りがちな展開打破のため、本日は日本
 の「紀元」の話です。

 「建国記念の日」という祝日は、その昔は「紀元節」という祝日。
 日本の紀元の話をするにはぴったりの日でしたね。

◇日本が建国した年月日(神話上の)
 日本書紀の神武天皇即位の日の記述、

  「辛酉年の春正月の庚辰の朔に天皇橿原宮において帝位に即く」

 この日を日本という国が形づくられたことを象徴する日と考え、この日を現
 在の太陽暦に変換した紀元前 660年 2月11日の日付を建国記念の日(以前は
 紀元節)としたわけです。

 もちろん、この日付は歴史上の事実というものではなく、建国神話の日付で
 ありますが、千年以上も前に自然発生的に生まれた国の建国の日付が明確に
 わかるはずもありませんから、この日を日本という国の建国を記念する日と
 するという考えに、私は全く同意するものです。

◇紀元とは
 さて、本日のタイトルにも用いました「紀元」ですが、この言葉は広義には
 年数を数え始める基点を表す言葉です。例えば西暦でも紀元前(BC)とか紀元
 後(AD)と使います。これも伝説(?)上のキリスト誕生の年から数えた年数
 という意味で使われています。

 日本においては、前述した神武天皇即位の日から年数を数え始めと考えてこ
 の年から数えた年を「紀元○×年」と称します。前記の西暦紀元と混同する
 ことがないようにと言う場合は、「皇紀」とすることもあります。
 ちなみに明治の改暦によって太陽暦へ改暦された年の暦には

  神武天皇即位紀元二千五百三十三年 明治六年太陽暦

 と書かれています。
 これが庶民が最初に目にした「日本独自の紀元」を記した印刷物だったので
 はないでしょうか。新しい暦の使用に合わせて、年数の記載方式も新しくし
 ようと云う考えが強く感じられる表現です。

 こうして紀元の使用が始まると、文書の日付はどう書くのが正式かと云う問
 題が生まれました。そこで明治六年の正月早々に、政府は官僚を中心として
 作られた諮問機関にこの問題を検討するように指示しました。そして出され
 た回答は

  1.紀元が制定されたからには元号との併用は考えられない。
    年号の使用は公私の文書ともこれを禁止すべきだ。
  2.正式の表記は「二千五百三十三年」のように、略式は「二五三三年」
    のように記する。

 と云うものでした。おっと、元号は廃止? 「令和」はどうする?

 これがそのまま通っていれば今年は令和五年ではなくて、紀元二千六百八十
 三年だったのですが現在の状況を見ればわかるとおり、こうはなりませんで
 した。

 この回答を受けた政府(太政官)はこの回答をあっさり無視して次のような
 方針を示たのでした。

  1.正式には「神武天皇紀元二千五百三十三年 明治六年×月○日」
  2.略式には「明治六年×月○日」
  3.もっと略式にするなら「六年×月○日」

 そしてこの方針がそのまま使われることになりました。
 うむ、折角紀元を設けたのに紀元の存在が霞んでしまいましたね。

◇「紀元」はまだ使われている?
 誕生早々に存在が霞んでしまった紀元です。この霞んでしまった紀元で今年
 という年を表せば紀元2683年です。

 生まれて間もなく霞んでしまったものを持ち出して、今さら紀元だとか皇紀
 だとかもないだろう思われるかもしれません。現に日本の暦の元となる暦象
 年表にも書かれていませんから。ですがまだ日本の暦を作る上で「紀元」が
 根拠になっているものが一つだけあります。次の条文をご覧下さい。

  明治三十一年勅令第九十号
 (閏年ニ関スル件・明治三十一年五月十一日勅令第九十号)

  神武天皇即位紀元年数ノ四ヲ以テ整除シ得ヘキ年ヲ閏年トス
  但シ紀元年数ヨリ六百六十ヲ減シテ百ヲ以テ整除シ得ヘキモノノ中更ニ
  四ヲ以テ商ヲ整除シ得サル年ハ平年トス
 
 なんだか難しそうな条文ですが、これが日本における「閏年」の求め方を示
 した法律です。内容を分かりやすく書き直すと

  1.神武天皇即位紀元年数を 4で割って、割り切れる年を閏年とする。
  2.ただし1であっても紀元から660を引いた数を100で割って割り切れる
    年で、かつその結果が 4で割り切れない年は平年とする。

 例えば今年を考えると、紀元2683年で 4で割り切れませんから閏年ではあり
 ません。来年は紀元2684年で4で割り切れかつ、100では割り切れませんから
 うるう年になります・・・てなことです。
 でも、このうるう年の計算方法って、どこかで見たような?

 そう、本当は単にグレゴリウス暦の閏年の算定方法を無理矢理に、紀元に適
 応させたものなのです。ただし、西暦を使わず何とか紀元(皇紀)を用いて
 閏年を求める方法としてこれを考えたのでしょう。

 この勅令(法律)は明治31年のものですから大変古く、今ならおそらく西暦
 を使っても誰も文句を言うことはないと思うのですが、法律を直すのは大変
 だからでしょうか、特に困っていないからでしょうか、この法律が今以て日
 本の閏年を決めるための根拠となっています。こう考えれると古いと言われ
 ようと何だろうと、細々ながら

  神武天皇即位紀元

 は生き続けているのです!!

 「!!」と強調しては見ましたが、頑張ってもやはり日本の「紀元」は影が
 薄いかな? 影が薄くなったからこそ、完全に消えてしまわないように、せ
 めて「こよみのページ」では、時々は思い出して日本の紀元の話を採り上げ
 て行こうかと思っています。
 忘れないでね、日本の「紀元」。

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