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■昔、閏日が挿入された日付の話 済みません、閏年でもない(2023年)なのに、いきなり閏日の話です。 なぜ平年なのに? と疑問に思う方も多い(大部分かな?)と思います。 思いついた理由は本日の日付です。 2月23日、そう、天皇誕生日です! あ、違った。 天皇誕生日であることは間違い有りませんが、この話題を思いついたのはそ こではなくて「2月23日」という日付自体です。 ◇閏日が挿入される日 閏日が何時挿入されるかと尋ねられたとしたら、皆さんはどのように答える でしょうか? 普通に考えれば平年の 2月の最終日2/28と3月の始まりの3/1の間に一日挿入 される、平年にはない2/29という閏日が登場します。この辺りの説明を簡潔 にまとめると 【閏日】(うるうび) (閏として加えられた)2月29日のこと。 《広辞苑・第七版》 となります。広辞苑さん、簡潔な説明ありがとうございます。まあ、閏日が なぜ 2月にはいるのかという問題を度外視すれば、余分な日である閏日が月 末に挿入されるというのが至極常識的だと思いますね。 ◇閏日は2/23-24の間? 至極常識的な現代の閏日の挿入方法を書いた後には、現代の常識から見たら 非常識に思える昔の「伝統的な閏の挿入法」の話。なんと昔の閏は2/23の後 2/24日の前に挿入されたのでした。ここでいう昔は100年夜そこらの昔では なく、2000年以上も前の「昔」ですけれど。 有名なユリウスの改暦以後、閏は「閏日」と呼ばれるとおり 1日だけになり ましたがそれ以前は 2年ごとに22日ないしは23日の閏が挿入されました。 これほど長いと、閏日というより閏月といった方が良さそうですね。 2 年ごとに22ないしは23日という日数を見ると、ユリウス暦以前のローマ暦 は一種の太陰太陽暦だったのだと想像できます(太陰暦の12ヶ月と太陽暦の 1年の日数の差は11日前後。22日の閏ということは2年分の差の調整と考える ことが出来ます。 挿入される日数については、その理由が容易に推測出来るのですが、不思議 なのは 何だってまた2/23と24の間なんて半端な時に挿入されたの? ということです。なぜなんでしょうね。 ◇ローマの年末は2/23? ローマは周辺国と戦争をしては、次々に領土を拡張し続けた帝国です。この ように戦争で拡大した領土からの税金(と奴隷の労働)でローマ市民は養わ れ、ローマの経済は支えられたのだと云われています。 こうしたことから考えると、ローマ帝国にとってその版図を守り、拡げ続け ることは生き続けるための至上命題であったと云えます。この重要な帝国の 版図の境界線である国境を守る神様の名前はテルミヌス(Terminus)です。 ローマにとってとっても大切な国境を守ってくれるテルミヌスに生け贄を捧 げる祭りの日は2/23。 この祭りのことをローマの人々はテルミナリア(Terminalia)と呼んで、こ の祭りをもって一年の終わりと考えていました。 ちなみにこのテルミヌスという神様の名前は現在も終着駅や終点を表す言葉、 ターミナル(Terminal)の中に残っていますが、この神様の祭であるテルミ ナリアはローマの人々にとっては一年の終点を示す祭りであったのです。 さて、こう考えてくると閏日が2/23と24の間に挿入される意味が見えてきま す。テルミナリアが行われる2/23が一年の終点の日だと考えるローマの人々 からすれば、一年の長さを調整するために臨時に挿入される閏日は 一年の終点、2/23の後に追加する と考えるのが当然だったということでしょう。 ◇一年の終点の後の 2月の日付は? ローマの人々が至極当然と2/23を一年の終点と考えるのは勝手ですが、今の 私たちから見ると、その終点の後も24,25 ・・・と続く 2月の日付たちはど う見られていたのかが気になるところ。気になったので理由を考えてみまし た。考えた結果、もしかしたらと思ったことがあります。それはローマの人 々の不思議な日付の数え方です。 今から見ると不思議なこの呼び方ですが、太陰暦を用いていたことを考える と、理解できなくもありません。 月の満ち欠けに基づいて、一ヶ月より短い日数を数えようと考えたとき、満 ち欠けの変化区切りとして新月と満月、さらに上弦の半月と下弦の半月を使 うのがよさそうです。区切りの日付はその日の月の形を見れば分かりますし ちょうど一ヶ月(太陰暦の)を 1/4に分けてくれます。ローマの人々は、暦 月の中の起点となる日を 1日を ・・・ カレンダエ 7または 5日を ノナエ 、 15または13日を イドゥス と呼んで、この日を基準にして日付を数えていました。ノナエとイドゥスに 2つの日があるのは、大の月と小の月とで使い分けが為されていたためで、 前者が大の月の場合で、後者が小の月の場合です。 この呼び方はローマ暦が太陰暦の一種だった時の名残なのでしょう(それぞ れ、新月、上弦の半月、満月の日の日付と考えられます)。 2月については、年末の祭りテルミナリアがありますので、このテルミナリ アも日付を数える起点に加わっていました。 私たちの普通の感覚からすると月末はその暦月の何番目( 2月以外は30番目 か31番目になります)と数えますがローマの人たちは 次の月の 1日(カレンダエ)の 2日前 という数え方を普通だと考えていました(「1日前」でなく「2日前」と数え るあたりも今からみると違和感がありますね)。2/23前後の日付をローマの 人々風に表すと 2/21・・・テルミナリアの 3日前 2/22・・・テルミナリアの 2日前 2/23・・・テルミナリア 2/24・・・カレンダエの 6日前 ※ここでのカレンダエは3月のもの。 となります。 現在は日付の数え方でこうした例はあまり見ませんが、時間に関しては似た ような使い方をすることがあります。例えば、 10時50分 = 11時10分前 といった使い方です。あるいは、「もういくつ寝るとお正月」という感覚な のかもしれません。 さて、この10時50分の例を考えたとき、この時刻は10時に属する時刻と思え ますか、それとも11時に属する時刻と思えますか? 「10時50分」ならまず間違いなく10時に属する時刻と捉えられると思います が「11時10分前」というと・・・何割かの人はこの時刻が11時に属する時刻 と感じるのではないでしょうか。同じ時刻のはずですが、言い方を変えると 違ったものに思えてきませんか? 既に書いたとおり、ローマの人々は、月 の終わりの頃の日付を 「翌月の前何日」 というような呼び方をしていましたから、テルミナリアの翌日2/24は 2月に 属する日と言うより 3月(3月は当時の伝統的な一年の始まりの月)に属する 日と感じられていたのではないでしょうか。そう考えれば2/23は一年最後の 日と言う感覚なので、一年最後の日の後に「閏」を挿入したということでし ょう。 この部分については、残念ながらかわうそ@暦の当て推量の域を出ないのも のなのですが、どんなものでしょう? ◇閏年は「朔日の 6日前が 2度ある年」 かわうその当て推量を補強するものとして、閏年を表す言葉があります。 ラテン語では閏年は「Bisextum」というそうです。 この語を直訳すると「6日前が2度ある年」という意味になるそうです。 それにしても、ローマの人たちは、何とも不思議な日付の数え方をしていた ものですね。常識が時代とともに変化するのは仕方がないですが、大きく違 ってしまった常識を持つ現代からローマ人の日付の数え方を考えると ああ、ややっこしい!! てことになってしまいますね(私はなった)。 本日は2月23日。目出度い天皇誕生日。そんな日の日付からふと浮かんだそ の昔、閏日の挿入された日付の話でした。
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