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■雑節と消えた社日の話 本日は暦の「雑節」を採り上げてみます。 暦には日付の他に、二十四節気や七十二候、本日採り上げる雑節と沢山の暦 注が登場します。 二十四節気は明治改暦前に日本でも長らく使い続けられてきたいわゆる旧暦 (太陰太陽暦の一種)を作る上で、その「太陽暦」の面を担うために作られ た暦法上の仕組みで、謂わば暦の骨格のようなもの。これが無いと暦が作れ ないもので、迷信的要素を多分に含む暦注などとは一線を画すものです。 七十二候は、その候名には多分に迷信的な要素がみられますが、仕組み自体 は二十四節気と同じ(これをより細分化したもの)であることと、一般の暦 にこれが書き込まれることは無かったものなので、今回は無視(?)させて いただきましょう(七十二候さん、ご免なさい)。 では、「雑節は?」というと、こちらはなんでしょうね・・・種々雑多な感 じです。暦を組み立てていく上では無くても問題ないのですが あったら便利 というものです。 雑節は、暦作りの最終段階で吉凶判断の占いなどに使われる暦注(こちらは 迷信ワンサカ)と一緒に書き加えられるものです。雑節が書かれる場所は、 納音五行の下、下段とよばれるものの上。一日ごとに書かれる暦の一行の真 ん中辺りに、八専や十方暮などと一緒に書き込まれました。 雑節は、中国から伝来した暦にはなかったもので、日本で暦が使われるよう になった後で、日本での生活上の便のために書き加えられたものです。その 点では極めて「日本的なもの」といえるかもしれません。 雑節にはどのようなものがあるかというと 土用・節分・彼岸・社日・八十八夜・入梅・半夏生・二百十日・二百二十日 があります。 それぞれを見てゆくと 土用 ・・・ 五行説から生まれたもの 節分 ・・・ 季節の区切りの日(立春・立夏・立秋・立冬の前日) 彼岸 ・・・ 仏教行事である彼岸会の日取り 社日 ・・・ 産土信仰と五行説から生まれたもの 八十八夜、二百十日、二百二十日 ・・・ 農作業の目安の日。立春から数えた日数。 入梅 ・・・ 梅雨入りの目安。農作業の目安の日といってよいか? 半夏生・・・ 元は七十二候の言葉。転じて農作業(田植えの終わり) を示すものに。 といった具合です(ただし、土用と半夏生が雑節として暦に書き加えられる ようになったのは、明治改暦以後のようです)。 あまり一般的ではありませんがこの他にも、祭礼などとの関係の深い「初午 ・中元・盂蘭盆・大祓」などを加えることもあります。 ◇暦要項の雑節から消えた「社日」 現在の日本において、国民の生活の元となる暦情報を作る仕事は国立天文台 が行っており、二十四節気や雑節に関しても毎年、国立天文台が計算した日 付(と時間なども)は「暦要項」呼ばれる冊子にまとめられています。 この暦要項に書かれている事柄が、その年の前年2月の官報に掲載されて、 国民に広く周知されることになっています。 さて、この暦要項に掲載される雑節はというと 土用・節分・彼岸・八十八夜・入梅・半夏生・二百十日 の7種類。あれ? 社日と二百二十日が無い?? 二百二十日については、まあ二百十日があれば、問題無いような気もします ので単純な省略のような気がするのですが、社日が入っていのはなぜなので しょうか? 終戦前に刊行された本暦を見ると「社日」の記載があります(二百二十日は ない)。本棚に明治五年、明治三十二年の暦があったので、それを開いてみ ると、やはり社日はありました(これにも二百二十日はありません)。どう やら、終戦前の暦においては 土用・節分・彼岸・社日・八十八夜・入梅・半夏生・二百十日 が雑節として採り上げられていたことがわかりました。 社日はあったんですね。 では終戦後はどうかというと、終戦後に作られた暦要項(風のもの)をたど ると、1946年(昭和21年)のものには、雑節として 土用・入梅・半夏生 のみが記載されています。 まあ、この年のものは終戦後に大急ぎで作られたものなので、これは特別の 事情と言うことで除外するとして、少々落ち着いた頃の1948年(昭和23年) 用の計算結果を見ると、 土用・節分・彼岸・八十八夜・入梅・半夏生・二百十日 と現在の暦要項に記載されているものが載っていました(1947年用について は、原稿が残っていないのか、内容を確認出来ませんでした)。 この時点で、「社日」が姿を消してしまいましたね。 社日が消えた件について何か手がかりがないかなと思ってあれこれ探してみ たのですが、その辺の事情について書かれたものを見つけることが出来ませ んでした。内田正男先生(国立天文台の前身、東京天文台時代から作暦に係 わっていらっしゃった大先生)がお書きになった「暦と時の事典」の雑節の 項目には 「社日と二百二十日は東京天文台発表の雑節から現在は除かれているが、 別に明確な理由があるわけではない」 と素っ気ない記述を見つけましたが・・・。 社日が消えた時期と、社日が産土神を祀る日という、神道系統の行事と結び ついた雑節であったことから、GHQ等に配慮した結果かも? なんて考える のは、勘ぐりすぎなんでしょうか。 ◇日本の航海暦に残っていた「社日」 船舶の航行のための暦(もっぱら天文航法での航海のための暦)という特殊 な暦ではありますが、日本の公的機関が作っていた暦の中に、つい最近まで 「社日」の記載が残っているものがありました。 それは海上保安庁が刊行している「天測暦」「天測略暦」(終戦前は海軍水 路部が作っていた)。本を開いた最初のページ(表紙の裏)にある、「今年 の暦」の中に、二十四節気などと並んで、社日の日付を見つけることが出来 ます。 なんで「旧海軍系の暦には残ったのかな???」 ますます「勘ぐりすぎ」の虫が騒ぎますね。 もっとも、この「社日」が残っていた天測暦等も、令和4年(2022年)版を 最終刊として廃止されましたので、もう日本の公的機関の暦から「社日」は 消えてしまったようです。 「消えてしまった社日が可哀想」 そう思う方がいらっしゃいましたら、Web こよみのページを御覧ください。 「暦の雑節計算」http://koyomi8.com/zassetsu.php に春と秋の「社日」を確りと掲載させていただいておりますので。 (最後は体よく、こよみのページの宣伝でした)
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