日刊☆こよみのページ スクラップブック(PV , since 2008/7/8)
■昼と夜の境、「夜明」と「日暮」の話 秋も深まり 「日(昼)が短くなりましたね」 という会話が日常でもなされるようになってきた今日この頃です。 皆さんも、何気なくこんなことをおっしゃっていませんか? 昼が短くなったということは、夜が長くなったということですから、秋には 「秋の夜長」なんていう言葉も出来ております(「夜長」については、最近 コトノハで採り上げました。宣伝)。 ところでここで質問です。昼が短くなった、夜が長くなったといいますが、 このときの昼と夜の境界はどこでしょうか? ◇昼と夜の境界 現在は昼と夜の境界といえば日出、日没の瞬間と考えるのが一般的ではない でしょうか? かく言う私も「今日の昼の長さは」という質問があった場合 には、日出から日没までの時間を計算して答えるのが普通です。 ですが日常、日が沈んだからといってもいきなり暗くなるわけではなく、し ばらくは外は明るい状態が続きます。子供の頃の私なんかは、本当に足下が 暗くて見えなくなるくらいまで外で遊んでいました。当時の私からすれば昼 の活動(この場合は外で遊ぶこと)の終わりは日没ではありませんでした。 屋外での活動が可能な明るさが残っているうちは、私にとっては「昼」だっ たのです。 この感覚は、昔の人、たとえば江戸時代の人も同様だったようです。いえ、 昔の方がより顕著だったでしょう。何せ今と違って人工の照明は高価なもの でしたし、そんな高価なものであっても今の照明とは比べものにならない弱 々しい照明でしたから、日没後であっても明るさの残っている時間は屋外で の活動が可能な「昼」の時間と考えられていたのです。 日没後の話ばかりしてきましたが、これは日の出前の明るい時間帯でも同じ です。そうしたわけで、江戸の昔の人たち屋外での活動が可能となるような 明るさで有るか無いかで昼と夜の境界と考えていたようです。そしてこの境 界を 「夜明(よあけ)」「日暮(ひぐれ)」 とし、夜明~日暮までを昼、日暮~夜明までを夜としていました。また当時 日常生活に使っていた時刻は昼の時間を六等分、夜の時間も六等分して表し ておりましたので、夜明と日暮はこの時刻方にとっての区切りとなっており どちらもこの時刻法で「六つ刻(むつどき)」と呼ばれていたことから 夜明 = 明六つ(あけむつ) 日暮 = 暮六つ(くれむつ) と呼ばれるようになりました。 この時刻法でも昼と夜の区切りは日出、日没ではありませんでした。 ◇明六つ、暮六つはいつ? このように日出、日没のような現象ではなく、明るさ基準で決められた明六 つ、暮六つですが、この明るさ基準には困った問題があります。それはどう やって明るさを測るかということです。 現在なら照度計のように機械的(?)に明るさを測る装置もあるでしょうが 江戸の昔にはそんなものはありません。ではどうしていたかというと 経験的に判定していた ということです・・・。たとえば今でも屋外で新聞が読める明るさであると か、一番星が見え始めるまで(あるいは最後の星が見えなくなるまで)明る さだとかで、経験的に明るさを測る基準を作ることが出来ますが、江戸時代 のものも似たようなもの。当時の記録を見ると 腕を伸ばして手のひらの筋の大きなものが一筋、二筋見えるが 細い筋は見えないほどの明るさ とあります。なるほど、いい基準があるんですね・・・。でもやってみれば 判りますが、こんな基準(?)できちんと測定することなんて、よほど熟練 した観測者じゃなきゃ無理な話。それに、まだその日になっていない未来の 暦を作るものにとっては、こんな「その日にならないと測れないもの」では 困ってしまいますので、この状態を何らかの計算方法で再現する必要があり ます。 まず考えられたのは、熟練した観測者が手のひらの筋を数えながら決めただ ろう夜明、日暮と日出、日没の間の時間を計って日出、日没の計算値にこの 値を加減算する方法。簡単なのでこの方法が長らく使われていました。 ちなみにこの夜明~日出、日没~日暮の時間は現在の時間で言えば36分でし た(正しくは1日を100刻としたときの2刻半)。 ただ聡明な日刊☆こよみのページの読者諸氏は既にお気づきのことと思いま すがこの夜明~日出等の時間は季節によって多少変動するはずなので、いつ も一定とするのはどうかな? ということで1798年から使われた寛政暦ではこの季節変化を考慮し、一定の 時間にかわって明るさの変化の元となる太陽の地平高度角に置き換えて、太 陽がこの高度角となる瞬間を計算で求めることにしました。 「太陽の中心の伏角が7°21′40″になる時刻」 これがその時に定められた定義(角度の単位は今風に書いてますけど)。 伏角とは、夜明、日暮の時刻の太陽は地平線の下にありますから、地平線か ら下向きに計った角度の意味です。 この定義は寛政暦の後の天保暦にも受け継がれ、更に現在にも伝えられてい て、この定義に従った東京の夜明、日暮の時刻が理科年表の暦部に掲載され ています。 ちなみに、本日2023/10/14で計算(計算値は東京)すると 夜明 5時14分 日暮 17時40分 となります。 さてこの夜明と日暮は皆さんの感じる昼と夜の境界の時刻と一致しますか否 か? いかがでしょうか。
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