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■「晦日の月」と進朔の話
 「有り得ないこと、馬鹿げたこと」

 を意味する言葉に「晦日の月」というものがあります。

 さすがに現在では「晦日の月」といってもピンと来ませんが、いわゆる旧暦
 のような新月から新月の直前までの期間で暦月を決めていた太陰太陽暦が使
 われていた時代であれば、暦月の終わりの日、つまり晦日には月を見ること
 が出来ないというのが常識でしたから、「晦日の月」で有り得ないものとい
 う意味が了解されたのです。

 いつもコトノハでお世話になる広辞苑の見出し語には「晦日の月」そのもの
 はないのですが

 【晦日に月が出る】(みそかに つきがでる)
 あり得ないことのたとえ。
 俗謡「女郎の誠と玉子の四角、あれば晦日に月も出る」による。
 誹風柳多留33「ひよく塚晦日に月の出た処」
   《広辞苑・第七版》

 という形で「晦日の月」が登場しています。
 一応まだ現役の言葉かな?

◇常識必ずしも真実に非ず
 中国生まれの太陰太陽暦は、新月から始まって次の新月の直前の日で終わり
 ます。暦月の最後は、29日乃至は30日のいずれかであったので、いつの頃か
 らか「みそか=三十日」と呼ばれるようになりました。

 晦日は「みそか」と読む以外に「つごもり」とも呼びます。
 こちらの読みは月が見えないことから、月が籠もって出てこない日、つまり
 「つきごもり」から出たものです。

 「つごもり」の言葉からも晦日は月が籠もって出てこない日と考えられてい
 たことがうかがえます。ですから晦日の月は有り得ないというのは「常識」
 だったのです。

 しかし、この常識は果たして真実でしょうか?
 往々にして常識必ずしも真実ではないということがありますが、この晦日に
 月が見えないという昔の「常識」もまた真実ではありません。

◇晦日に月が見える?
 新月の瞬間は日食でもないかぎり月を見ることは出来ません。新月の瞬間に
 月が見えないのは事実ですが、これと「新月の日に月が見えない」というこ
 とは同じではありません。

 新月の日というのは新月の瞬間を含む日です。例えば新月の瞬間が 0時01分
 であっても、23時59分であっても、これを含めばその日は新月の日となりま
 す。

 次に新月の瞬間からどれくらい時間が離れれば月が見えるのかというと、二
 日離れれば見えます。これが三日月です。注意してみると時々三日月の一日
 前にも月が見えることがあります。三日月に習って呼べば二日月ということ
 になりますね。つまり新月の次の日には見えることがあるわけです。

 例えば、 0時01分に新月の瞬間を迎えたとすると新月の翌日の夕方は新月の
 瞬間から約1.75日経過しているわけで、こういう好条件のときがあれば新月
 の翌日でも月が見えることがあるのです。

 これと同じく、新月の瞬間が新月の日の夕方~夜の時間帯にあったと考える
 と、その前日の明け方には、月は十分見える可能性があるわけです。

 たとえばこの記事を書いている2024/6/5 は旧暦四月の晦日にあたります。
 明日は旧暦五月の朔日、つまり新月の日ということになりますが、新月の瞬
 間はいつかと云えば

  2024/6/6 21時38分

 そして本日の月(晦日の月です)の月の出の時刻はというと

  2024/6/5  2時56分 ※東京での値

 となります。計算すると今日の月の出の瞬間は新月の 1.78日前ということ
 になります。先に書いた二日月が見えるような条件の例として示した 1.75
 日後という日数とほとんど同じです。

 二日月の例として考えたように、新月の瞬間から 1.75日も経てば二日月が
 見えるのであれば、今日は晦日月ですが、十分「晦日の月」が見える可能性
 があるはずです。可能性だけでなくて、実際に時々は「晦日の月」が見える
 ことはあるのです。

 もちろんこうした好条件に恵まれたとき以外は、晦日に月を見ることはほぼ
 ありませんから「晦日の月」が有り得ないものという誤った常識が出来上が
 ったと考えられます。

 太陰太陽暦の暦月の晦日に月が見えたって、暦が間違っているわけでも何
 でもないのです。ですが、それが正しくはないとはいえ、広く常識と考えら
 れていること(晦日に月は見えないということ)と一致しないと、なんだか
 その暦が間違っているのではないかと誤解されることがあったのでしょう。
 その結果生まれたおかしな規則が「進朔(しんさく)」です。

◇進朔
 既に書いたとおり、新月の瞬間が新月の日の夕方~夜にあるような場合、新
 月の前日である「晦日」の明け方に月が見えることがあります。
 これが誤った常識に反するので、これを避けるため新月の瞬間が新月の日の
 夕方以降に起こる場合、新月の日を本当の新月の日の翌日に進めてしまうと
 のが進朔です。「朔」は新月の意味ですので、新月の日を進める→進朔と呼
 ばれるわけです。

 いつの時点以降に新月の瞬間を迎えたら進朔するか、その区切りとなる時刻
 を「進朔限」と言います。
 この進朔限がいつかというと、現在で言うところの18時(夕方の 6時)とい
 うのが一般的です。日本で平安時代から江戸時代初期までの 800年以上の期
 間使われていた宣明暦はこの決め方です。

 宣命暦などでは進朔を取り入れることによって「晦日の月」を避けることが
 出来るようになりましたが、暦を作る立場から考えると晦日に月が出ようが
 出まいとどうでもいいことで気にする方がおかしいのですが、世の「常識」
 の前に進朔という「暦の世界では非常識な規則」が生まれてしまったのでし
 た。今風に云えば「科学が風評に負けた」って感じですね。

 なお、貞享二年(1685)に宣明暦から貞享暦に改暦されてからはこの進朔と
 いう暦の世界での非常識な規則は無く成りましたので、進朔は今は昔の物語
 りということになりました。

 明日、6/6の新月の瞬間は21時38分ですので、世が世ならば(宣命暦使用時
 代ならば)旧暦五月朔は明日ではなくてその翌日の6/7となっていたことに
 なりますが、現在のいわゆる旧暦の元になっている天保暦も進朔を採用しま
 せんので、今年の旧暦五月は明日の6/6から始まります。

 たまたま本日が晦日で、次の新月の瞬間が進朔のあった時代の進朔限を過ぎ
 た時刻であったことから思い出して書いた『「晦日の月」と進朔の話』でし
 た。

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