日刊☆こよみのページ スクラップブック(PV , since 2008/7/8)
■「ユッカヌヒー」の雑話 本日は旧暦五月四日。 沖縄の方言で「四日の日」という意味だという「ユッカヌヒー」の行事が行 われる日です。ユッカヌヒーは子供の成長を願う日であり、海神様を祀る日 で、この日沖縄各地では海の祭りであるハーリー(航海の安全と豊漁を祈願 し、爬龍船(はりゅうせん)と呼ばれる船による競漕)が行われます。 旧暦の五月四日という日付けから、既にお気づきだと思いますが、このユッ カヌヒーは端午の節供と関係のある行事です。 ユッカヌヒーの日に行われるハーリーは琉球王朝時代に中国から伝来した行 事だといわれます(諸説の一つではありますが)。 ◇ハーリーと屈原 ハーリーの元となった行事というのは、中国の戦国時代に遡るものです。 この時代、楚の国の政治家に屈原(くつげん)という人物がありました。 屈原はその頃、楚の国と秦の国との間で進んでいた連合(いわゆる「合従」 に反対していましたが受け入れられず、政界を追われる真下。政界を追われ た屈原は祖国である楚が誤った選択をした事を嘆きながら、五月五日の日に 汨羅(べきら)という河に身を投げて亡くなってしまいました。 屈原を慕う楚の人々は、河に身を投げた屈原を探しすために船を出して探し 回りました。また、その際に魚が屈原の死体を痛めないようにとドラや太鼓 を叩いて魚を追い払ったのだといい、この船による屈原捜索の姿がハーリー の行事の始まりだといわれています。 ちなみに、屈原は政治家と書きましたが、政治家であると同時に(いや、そ れ以上に?)詩を芸術に引き上げたと云われる中国を代表する大詩人でもあ りましたので、屈原の名を聞けば多くの方は詩人としての屈原を思い浮かべ ることでしょうね(私もその一人)。 ◇屈原と粽 ついでの話ですが、楚の人々が屈原の死を悼み、屈原が汨羅に身を投げた日 に行うようになったことがもう一つあります。それは屈原が身を投げた汨羅 に、屈原を供養するために蒸した米を竹筒に詰めたものを投げ込むこと。 これには屈原の供養と魚たちが屈原の身体を食べることがないようにという 意味もあるようです。 この竹筒に詰めた蒸した米がやがて姿を変え、それが現在の端午の日に食べ る粽となったそうです。 本日は、旧暦五月四日、ユッカヌヒーの日ということでユッカヌヒー行事か らハーリー競争と屈原、そして屈原から粽と連想して書いた暦のこぼれ話で した。 ハーリー競争はともかくとして、粽の話を最後に書いたら、なんだかお腹が すいてきました。 そんな「朝飯前」のかわうそでした。
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