日刊☆こよみのページ スクラップブック(PV , since 2008/7/8)

■「太陽暦採用記念日」の新聞と暦屋の明暗
 今日、11/9の今日の記念日を見ると

  太陽暦採用記念日

 の文字が。
 明治 5年(1872年)のこの日、11/9は日本において太陽暦への改暦の詔書が
 発せられた日です。

 ただし、詔書が発せられた明治 5年11月 9日という日付けは当時使われてい
 た暦による日付ですから、当然旧暦での日付です(西暦の年月日で表すと、
 1872/12/ 9となります)。

 なら、「太陽暦採用記念日」は11/9ではなくて12/9ではと考える方もいらっ
 しゃるかもしれませんが、ある出来事を示す記念の日付と考えると、無理に
 他の暦日に変換したものではなくて、その当時使われていた日付を使うほう
 がすっきりしていいと思いますので、ここは11/9でよしとしましょう。

 ※余談ながら、「二月三十日」のように現在使われている暦には存在しない
  日付の記念日については、別途特例を設ける必要があるでしょうけれど。

◇新聞大売れ
 「日本は、来年から太陰太陽暦やめて、太陽暦にしちゃいます」

 という改暦の情報の国民への伝達は、改暦詔書が発せられた日の新聞によっ
 てなされました。現在なら朝のTVのトップニュースでしょうけれど、TVもラ
 ジオもインターネットもない(ということで日刊☆こよみのページもない)
 時代ですから、新聞くらいしか知らせる手はなかったのです。

 その新聞にしてもこの当時はまだまだ揺籃期にあるメディアで、当時最大の
 発行部数を誇っていた東京日日新聞(毎日新聞のご先祖)ですら、発行部数
 は数千部程度の時代です。

 明治 5年11月 9日とその翌日の東京日日新聞は、改暦詔書とそれに関連した
 太政官布告を付録として見出しも解説も付けずに掲載しました。あまりの急
 な発表で「見出しも解説も付ける暇がなかった」のでしょうね。詔書と太政
 官布告だけの掲載ですから、まるで官報のような新聞だったわけです。

 多分、その付録を読んでもほとんどの人々には、チンプンカンプンだったと
 思いますが、ただ「なんだかすごく大変な発表のようだ」ということは分か
 ったようで、このときの東京日日新聞は両日で 1万部を完売。12日には再版
 して15日までに2万5千部を売り切ったといいます。
 揺籃期の新聞にとっては、天佑の大ニュースだったでしょう。

◇新年まで23日・・・
 新聞にとっては僥倖だった太陽暦改暦の知らせでしたが、大迷惑を被った方
 たちも大勢いました。いえ、多分迷惑した人の方が圧倒的に多かったはずで
 す。だって、まだ11月上旬だというのに、改暦後の新しい暦での年明けまで
 23日しかありません。

  12月に入ったら、年越しの準備を始めよう

 と思っていたのに11月上旬なのにいきなり「年末」になってしまったわけで
 す。それはもう大変。商売をしている人たちだって、年末商戦の準備もまま
 ならない。

 新政府のお膝元、東京であればそれでもまだ「23日」あったわけですが、ま
 だ電信も電話も(もちろん、インターネットも・・・)なかった時代ですか
 ら、この改暦の情報が日本各地に伝達されるまでには何日も何日もかかって
 しまって、九州や北海道にこの情報が伝わった頃にはもう年明けまで半月を
 切っていたなんてことになってしまって東京以上に混乱したことでしょう。

◇暦屋さんの受難
 こうした混乱の中でももっとも困惑し、迷惑したのが暦を販売していた頒暦
 業者(当時は暦は許可を受けた頒暦業者しか販売できなかった)。

 改暦を断行した政府は、なぜかこの頒暦業者には事前に何の情報も与えてお
 らず、改暦の詔書が発せられた日には、頒暦業者たちは何も知らずに旧暦の
 ままの明治六年の暦を作り終え、これをせっせと販売していたのです。

 それが新聞を開くと「来年からは太陽暦にするからよろしく」と書いてあり
 この記事で初めて改暦されることを知ったわけですから大変です。
 改暦されてしまうと旧暦で作ってしまった暦はただの紙くずになってしまう
 わけですし、既に購入した人たちからも苦情とともに山のような返品依頼が
 届くわけです。

 そんな大迷惑を被った頒暦業者に更に追い打ちをかけたのは「太陽暦に関し
 ては、誰でも発行してよい」という政府の決定。
 政府としては太陽暦を出来るだけ早く普及させるための方策として従来の特
 定の頒暦業者による暦の専売制撤廃なのでしょうが、暦の頒暦権を得るため
 に政府に多額の冥加金を払っている業者からすれば、詐欺にあったようなも
 の。踏んだり蹴ったりの仕打ちです。

 ほとんど詐欺にかかったような可哀想な頒暦業者からの嘆願によって、政府
 も頒暦業者救済のための専売権延長は認めることになりました。が、それで
 もこのときの打撃によって廃業に追い込まれた頒暦業者もありました。

  太陽暦採用記念日

 は、暦屋さんにとっては、受難の日の記念日といえるかもしれません。

 ※なぜこんな時期に改暦したのかという事情については、Web こよみのペ
  ージの暦と天文の雑学、

  「明治改暦の周辺事情・国家財政の危機?」
   https://koyomi8.com/reki_doc/doc_0103.html

 をお読みください。
 ちなみに、この記事には「日本は、来年から太陰太陽暦やめて、太陽暦にし
 ちゃいます」という改暦詔書の原文も記載しております。

日刊☆こよみのページ スクラップブック