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■七十二候の話
 暦の話として、たびたび登場する二十四節気(にじゅうしせっき)はいろい
 ろなところで採り上げられ説明されている(中には間違った説明もある)の
 ですが、これをさらに細分した七十二候(しちじゅうにこう)は、これに比
 べると採り上げられることの少ないものです。

 可哀想ですから、せめてこの日刊☆こよみのページくらいは採り上げてあげ
 ないといけませんね、ということで本日は七十二候の話です。

◇七十二候とは
 二十四節気は暦の上の日付と季節を結びつけることがその重要な役割ですが
 一年を二十四分割するとその一つ一つの間隔はおよそ15日。私などは、この
 くらいの間隔で十分だと思うのですが、いやいやもっと細かくしなくてはと
 いう人もあると見えて、二十四節気の一気を更に三分割して作られたのが七
 十二候です。

 二十四節気は冬至や夏至などの天文学的な観測の結果に由来するもので、論
 理的で観念的な名前が並んでいるのですが、七十二候の名前はといえば目に
 見えるもの、直接感じられるものといった具体的な事物で作られています。

 二十四節気がそうであるように七十二候も中国で生まれ、中国から日本に暦
 が伝来した七世紀末に二十四節気などとともに日本に伝えられました。
 七十二候が初めて日本に伝えられた頃の内容を見てみると

  「蟷螂(とうろう)生ず」
  「鵙(もず)始(はじ)めて鳴く」

 のように動物の行動や植物の生育の様子を表した言葉が多く並んでいます。
 こうした動植物の姿から季節の変化を読み取っていたわけです。先に書いた
 「具体的な事物」ですね。こうした具体的な事物が名前に残る古い時代の七
 十二候を見てゆくと、身近な自然の変化を観察し、それを暦の上に記述して
 いった古代中国の人々の季節感を垣間見ることが出来ます。

 こうして中国から伝来した七十二候でしたが、暦の上の仕組みとしては重要
 視されなかったようです。その理由は定かではありませんが、細分を進めす
 ぎて現実的な機能を失ってしまったからだと私は考えています(七十二候が
 生まれた当の中国でも既にそうだったのかもしれません)。梅や桜の花の咲
 く時期一つとっても、半月(二十四節気の一気の長さ)も違うと

  異常気象か?

 という気にもなりますが、 5日(七十二候の一候の長さ)程度違うくらいは
 異常なことではありません。更に温暖な地方から寒冷な地方まで同じ暦を使
 うことを考えると 5日区切りで動植物の様子から季節を読み取るというのは
 無理な相談ですから(七十二候の生まれたばかりの時代には、それが使われ
 たのがかなり狭い範囲だったのかもしれません)。

※と書いておきながらですが、多少の無理は有っても、季節の目安として、七
 十二候を書いておくことで、花の咲く時期のわずかな異同を知る手がかりと
 なるという役割、物差しの目盛りのような役割、はありますから簡単に無意
 味というのは、乱暴すぎるかも知れません。少々反省。

◇七十二候の変化
 中国から伝来しても日本の季節の変化を読み取る役に立たず、長らく存在感
 の薄かった七十二候でしたが、江戸時代に入り、日本独自の暦である貞享暦
 (じょうきょうれき)が生まれると、日本独自の七十二候として復活(?)し
 ます。この日本風に作り直された七十二候を本朝七十二候(ほんちょうしち
 じゅうにこう)といいます。

 本朝七十二候とは、日本の気候風土に合わせて作り直された七十二候のこと
 です。

  蓮始めて華さく

 のようなそれまでの七十二候にはなかった言葉を追加する一方、「鷹化して
 鳩となる」のような貞享暦が作られた江戸の時代でも「そんな馬鹿な」とい
 う言葉は削除されています。また「寒蝉(ひぐらし)鳴く」のようにそれまで
 もあったものを時期を変えて存続させるなどしています。

 貞享暦が作られたときに日本化した七十二候はその後、時代とともに少しず
 つ変わってきました。それは、気候の変化に対応すると言うこともあるでし
 ょうし、季節の変化を見る人の目が変わって着目するものが変わって行くか
 らということもあるでしょう。

◇現在の七十二候は?
 こうした変化はこれからも続くわけですから、今後も七十二候が使われ続け
 るなら、七十二候の変化はこれからも続くことになると思います。
 とは言いながら、それなりに「標準」となるものはあります。現在使われて
 いる七十二候の「標準」ととらえられるものというと、明治時代の略本暦に
 記載されていたものがそれに当たると思います。

 ただ、標準テキストがあるとは言っても、使われている漢字には難しいもの
 が多くあって、現在では「99% の人が読めないだろう」というものも多く、
 現在ではそのままでは意味がわからなくなったものもあるので、その辺はい
 くらか当世風に直して使う必要があります。

 こよみのページ(この、日刊☆こよみのページも含む)でもそうした当世風
 の書き直しを行っています。例えば、これを書いている日(2025/2/9)は立春
 の次候で「うぐいす鳴く」としておりますが、明治の略本暦では

  黄鶯[目+見][目+完]

 という4文字(後ろの2文字はPCの機種によっては表示出来ない特殊文字なの
 で[目+見](目偏に見)、[目+完](目偏に完)と分けて表しました)。
 このままじゃ、読めないし意味もわかりませんよね。といって、まったく無
 関係の言葉に置き換えるのもおかしいでしょうから、頭を捻るわけです。

 いろいろ悩みもありますが、季節の変化を暦に書かれた事柄だけで知るので
 はなく、自分の目で耳で肌で感じるものだということを七十二候は思い出さ
 せてくれるものなので、今後も頭を捻りながら、その言葉を残していきたい
 と思っています。

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