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■麦秋至る・2025 2025/5/31 ~ 6/4は、七十二候の一つ「麦秋(ばくしゅう)至る」の時候で す。麦秋の頃とは陰暦でいえば 4月頃、現在の 5月~ 6月にあたります。 麦秋至るという言葉は「礼記」の「月令」に既に見えている言葉ですから、 二千年以上も、使われ続けてきた言葉で、季語としては「夏」に分類される 語です。 日本でも立春から数えて 120日目辺り( 6/4頃)が麦刈りの目安だそうです から、麦秋至るは二千数百年の時を超えて、また中国と日本という地域の違 いも超えて生き続ける息の長い言葉です。 「麦秋至る」という言葉には「秋」という言葉が入っています。秋は百穀物 ・百果実の実る季節で、麦秋の「秋」はこの「収穫の時」を意味する言葉と して使われています。四季で言うところの季節では初夏ですが、この時期は 麦の実る時期ですから、収穫の時を表す秋と麦を組み合わせて「麦秋」と言 い表したわけです。 麦秋(ばくしゅう)はまた「麦の秋(むぎのあき)」とも読みます。 意味としては同じですが、「ばくしゅう」と読むと麦を収穫するのどかな風 景を想像するのに対して、「むぎのあき」と読むと、なんだか物淋しい感じ がします(私だけ?)。木々の葉が落ち冬に向かう季節という意味を「秋」 に感じるためでしょうか。 ◇麦秋の景色 蕪村の句に 麦の秋さびしき貌(かお)の狂女かな というものがあります。 麦秋至るの頃は普通の年であれば梅雨入りの少し前。 麦を育てる農家にとっては梅雨に入る前に麦の刈り入れを済ませてしまいた いところですから、この時期は大忙しです。猫の手も借りたいくらいの忙し さで、からかう者もなく、誰からも相手にされない狂女の様子を詠んだもの なのでしょう。 初夏の陽射しの下の、一面の麦の実りの風景の中に立つ寂しげな狂女の姿が 浮かんできます。 ◇今年は? 今年は九州ではもう梅雨入りしたといいます。他の地方もいつもより梅雨入 りが早いとしたら、梅雨入り前の麦刈りの予定が狂ってしまったかも知れま せんね。 今は一面の麦畑という光景を目にすることは稀ですから「麦秋至る」という 言葉には「のどかさ」も「物淋しさ」も感じることがなくなってしまったか もしれません。いつか「麦秋至る」という言葉も なぜこの時期に、「秋」なんだ? という不思議な思いだけが残る言葉になってしまうかも知れません。 そうなってしまったら、それはそれでなんだか淋しい話ですね。
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