暦と天文の雑学
http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0195.html
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旧暦の2033年問題
今回は変わったタイトルの暦と天文の雑学です。
現在もなお使われるいわゆる旧暦には、2033年問題、または2034年問題といわれる問題があります。この問題は「旧暦」に興味のある人の間では知る人ぞ知る大問題です。
「旧暦に関わる人の間では」と断りが入る時点で、普通の人には全然関係ないといっているような気もしますが、こよみのページに集まる方々になら「大問題」だと思いますので、今回はこの問題について考えてみます。
今回は変わったタイトルの暦と天文の雑学です。
現在もなお使われるいわゆる旧暦には、2033年問題、または2034年問題といわれる問題があります。この問題は「旧暦」に興味のある人の間では知る人ぞ知る大問題です。
「旧暦に関わる人の間では」と断りが入る時点で、普通の人には全然関係ないといっているような気もしますが、こよみのページに集まる方々になら「大問題」だと思いますので、今回はこの問題について考えてみます。
- 旧暦の2033年問題ってなに?
- はじめに2033年問題または2034年問題と書いたのは、この問題が両方の年にまたがる問題だからです。ただ面倒なので以後は「2033年問題」と書かせて頂きます。
さて、なぜ2033年が旧暦にとって問題かというとそれは、
手順通り計算するとその年の旧暦の日付がおかしなことになる
そういう年だからです。
- 旧暦の日付の計算規則
- 旧暦の日付を決定する手順についてはこの暦と天文の雑学中の
旧暦の月の決め方(http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0101.htm)
旧暦と六曜を作りましょう(http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0190.htm)
という記事を書いておりますので、この二つを読んで頂くのが一番ですが、手間を省くために、関係する旧暦の日付の計算手順を簡単に書いて見ると次のようになります。
- 前の年の冬至」から「翌年の雨水」までの二十四節気の中気の節入り日を計算する
- 1で求めた期間の直前から、直後までの朔(新月)の日を計算し、朔の日を区切りとして「暦月」の期間を決める。
- 2で求めた「暦月」が何月に当たるかを1で求めた中気から決める。
- 「暦月」に中気が含まれない場合は、「閏月」とする。
- 春分・夏至・秋分・冬至が入る月は、二・五・八・十一月とし、その他の月名を調整する。
- 5 の場合、中気を含まない月がすべて閏月とならなくともよい。
現在普通に「旧暦」という暦は、日本で最後に使われた天保壬寅暦という暦に準拠した暦(ただし天体の位置計算や、日付の変更の基準となる経度は現代の定義を用いている)です。上に書いた手順もその天保壬寅暦で用いられた置閏法(ちじゅんほう:閏月の置き方の規則)の手順です。
天保暦以前の暦では1~4の手順で済んだのですが、天保暦では5,6の特別ルールまで必要になりました。5,6を特別ルールと書きましたが、ここまで来るとルールというより「公認の反則」といった感じです。
こんな「公認の反則」まで作らないといけない天保暦でしたが、ここまでしても解決出来ない問題が2033年には起こってしまいます。その問題を実際の作暦手順を追いながら考えてみましょう。
- 2033年の旧暦を作ってみる
- 次の表は、2033年(と関連する前後の部分)の旧暦作成のためのデータです。旧暦を作るためには、朔と二十四節気の中気の節入りの日付が必要ですので、まずこれを求めて表に書き入れます。
表の左から1~3列が新暦の日付、参考としてその現象の起こる時刻、及びその現象名です。続いてその右側の列の基本~天保案までが天保暦の手順に従って月名を決めたもの(と途中結果)です。
- 基本 ・・・ 置閏法の1~4を適用したもの
- 修正1・・・ 「基本」に置閏法5を適用して修正したもの
- 天保案・・・ 修正1に置閏法6を適用して修正したもの
2033年の旧暦作成例 新暦年月日 時刻 朔望・中気基本 修正1 天保案 1案A 1案B 2案 2032/12/03 6 朔十一月 十一月 十一月 十一月十一月 12/21 17 冬至 (11)2033/01/01 19 朔十二月 十二月 十二月 十二月十二月 1/20 4 大寒 (12)1/31 7 朔正月 正月 正月 正月正月 2/18 18 雨水 (正)3/01 17 朔二月 二月 二月 二月二月 3/20 16 春分 ( 2)3/31 3 朔三月 三月 三月 三月三月 4/20 3 穀雨 ( 3)4/29 12 朔四月 四月 四月 四月四月 5/21 2 小満 ( 4)5/28 21 朔五月 五月 五月 五月五月 6/21 10 夏至 ( 5)6/27 6 朔六月 六月 六月 六月六月 7/22 21 大暑 ( 6)7/26 17 朔七月 七月 七月 七月七月 8/23 4 処暑 ( 7)8/25 7 朔閏七月 閏七月 閏七月 八月※閏七月 9/23 2 秋分 ( 8)八月 八月 八月 九月※八月 23 朔10/23 11 霜降 ( 9)九月 九月 九月 十月※九月 16 朔11/22 9 小雪 (10)未定 十一月 十一月 十一月十月※ 11 朔12/21 23 冬至 (11)12/22 4 朔未定 閏十一月 閏十一月 閏十一月 十二月※ 十一月※ 2034/01/20 9 大寒 (12)未定 未定 十二月 十二月 正月 十二月 19 朔2/18 24 雨水 (正)2/19 8 朔未定 未定 正月 正月 閏正月 正月 3/20 19 朔二月 二月 二月 二月二月 22 春分 ( 2)
天保暦の置閏法の1~4までの手順で問題が発生した場合、
秋分を含む月は八月
冬至を含む月は十一月
となるように調整することという規則 5がありました。この年の弱った問題は秋分を含む月から冬至を含む月までの数が
八月・九月・十月・十一月
と最低4暦月必要なところ、3暦月しかないことから生じました。余分な月がある場合は「閏月」を置けばいいのですが、数が足りないからといって一つ省略すると暦月が連続しないことになってしまいます。
- 天保暦の一部修正
- 天保暦の置閏法を強硬に適用すると暦月の連続性が損なわれる(「十月」が無くなる)ことはおわかりいただけたでしょうか?
2033年問題に関して、一部には天保暦の置閏法を絶対視して暦月が不連続になることも致し方なしという方もいらっしゃいますが、私は暦月の連続性は暦書に書くまでもない「作暦の大前提」だと思っておりますので、天保暦の規則の一部には反しますが、表の
「1案」 or 「2案」
のような修正案を考えています。
修正案の天保暦の置閏法(5)適否 春分は
2月夏至は
5月秋分は
8月冬至は
11月推奨 1案 ○(適) ○(適) ×(否) ○(適) ◎ 2案 ○(適) ○(適) ○(適) ×(否)
ごらんの通り1案と2案の違いは秋分の月と冬至の月のどちらを優先させるかです。では1案と2案のどちらがよいと思うかといえば、私は冬至が11月というルールに従う「1案」を推奨します。
冬至が11月というルールを秋分が8月というルールより優先する理由は、旧暦の場合その作暦の基本は「冬至」を決定することから始まるからです。
作暦の基準となる冬至とそれを含む暦月との関係は、春分・夏至・秋分とそれぞれの暦月の関係より重要であるというのが私の考えです。
ちなみに案1にA,Bの二通りがあるのは、2034/1/20~2/18の大寒(十二月中気)と雨水(正月中気)を含む月を十二月とするか正月とするかの違いによります。大寒と雨水のどちらを優先するかは、これまた決まりがありませんので、どちらの考え方も可能です。ただ、そうであれば、閏月の挿入は、先送りせず最初に現れた中気のない月で行うべきだろうと、私は考えているので案1Aの方を選択するのがよいと考えています。
中国の『時憲暦』の場合
お隣中国で使われた時憲暦も天保暦同様の問題を抱えています。時憲暦ではこの問題解決のために次の二つの規則(天保暦の手順5,6の代わりとなる)を追加しています。
5'.冬至を含む月を11月とする。
6'.次の冬至まで13ヶ月ある場合は、最初の中気を含まない月を閏月とする。
(清史稿「時憲志 康煕甲子元法」による)
この規則を取り入れるとやはり「案1A」の状態に落ち着きます。
天保暦は日本で作られた暦ですけれど、間違いなく時憲暦も参考とし研究しているはずですから、2033年問題回避の方法としてこの時憲暦の規則を用いるという選択肢は現実的だと考えられます。実際の時憲暦は後に中国の祭祀の都合から「冬至は11月、春分は 2月」と小修正されましたが、これはあちら側の事情ですから付き合う必要はないでしょう。 - 「正解」はない2033年問題
- 私の考えを紹介しましたが、この考えはあくまで私の考えであって何の拘束力もありません。
この2033年問題には正解が無いのです。現在はいわゆる旧暦を管理する公的な機関はありませんから、「今年の旧暦」などと称する暦はすべて、勝手に作っている「私暦」にすぎないのです。
私の案もその他の案もすべて単なる「私案」にすぎず、拘束力などないのです。皆が勝手に作っているだけですから、どの案が正しくどの案が間違っていると決めることは出来ません。
「旧暦」がまだ旧暦でなかった時代ならば、これを管理する公的な機関(時の政府、たとえば江戸幕府など)が存在しましたから、そこが
「来年の公的な暦はこれです」
と発表すればこれが「正解」。問題解決です。
今回のようにそれまでの規則では解決できないとなればこれを修正し、今後はこのやり方でやりますとお墨付きを与えればそれでいいのです(これが「改暦」です)。
2033問題の本質は?
といわれれば、それは正解不正解を決める基準も判定を下す審判もいない問題だということです。
2033年までにこの問題を判定する機関が出来るとは思えませんので、この問題を大問題としないためには2033年までに旧暦を使うのをやめてしまうか、みんなが勝手に作って結果が違っていたっていいじゃないか、人は人、自分は自分と割り切ってしまうかです。
さて、どっちになりますか。
私にはそっちの方が興味深い問題です。
こよみのページでの2033年問題の取り扱い
各々勝手に作っていい私暦である旧暦ですから、「こよみのページ」内の旧暦の2033年、2034年は勝手に「1案A」で作っております。
- 余 談
- 天保暦、その矛盾も仕方ない
- 中国生まれの、太陰太陽暦は日数を繰るだけのカレンダーではなく、天体暦的な精密さを持っている暦です。
これは、暦を作り人々にこれを授ける「天子」は地上だけでなく天空も、時間も支配する存在だという神懸かり的な観念から必要とされた「精密さ」であって、日常生活からみると必要のない精密さでした。
そして必要以上の「精密さ」を追った暦は結果として、頻繁なメンテナンスが必要な暦となってしまいました。ですから、旧暦時代はどれほど優秀な暦を作っても、数十年もすると不都合があって「改暦」が必要になっていました。
これは分針までしかない時計なら数秒のずれなど気にならなかったのに、秒や0.1秒まで読める目盛りや針をつけたばかりに、毎日時計時計合わせをしなければならなくなったようなものです。
天保暦もそうした頻繁なメンテナンスの必要な暦の一つでしたが、まだ29年しか使われないうちに、暦法が太陰太陽暦から太陽暦へ切り替わってしまった(明治改暦)ため、太陰太陽暦としてはついに改暦されずに終わってしまった暦なのです。
明治改暦がなければ天保暦も数十年使われたのち不都合の修正のための「改暦」がなされていたはずですが、正式な暦が太陽暦へ切り替わってしまっているためこうした太陰太陽暦としての修正、改暦がなされないまま旧暦という呼び名で 150年以上も使われ続た結果、2033年にその大きな欠点が露呈してしまうことになるのです。
2033年問題は暦法の欠点などというものではなくて、暦はメンテナンスしながら使うものだという当たり前のことを無視して耐用期限を大きく超過した暦を使い続けた当然の結果として発生した問題なのです。
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