暦と天文の雑学
http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0710.html
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中秋の名月はいつ? (旧暦の十五夜は満月か?)
空の青さが増し、草の蔭から虫の声が聞こえるようになると、今年もそろそろ「月見の季節」です。現在は、人工的な明かりが夜でも赤々と灯っているところが多く、月の光も街の明かりにかき消されてしまいがちですが、それでも月が明るくなる満月の頃には、ぽっかりと夜空に浮かぶ月の眺めを楽しむ方は多いようです。中にはそんな満月の光の下で月光浴を楽しむという方もいらっしゃるとか。
街の灯りの明るい今でも、そんな具合ですから、人工の灯火の乏しかった昔は明るい月の夜はきっと特別な夜だったことでしょう。
明治の改暦で、新暦(太陽暦の一種のグレゴリオ暦)に改暦するまで、1200年以上も使われ続けてきた旧暦と呼ばれる暦は太陰太陽暦という月の満ち欠けと密接に結びついた暦で、旧暦では暦の日付を見れば月の満ち欠けのおよその具合が判りました。日付が三日ならその日に見える月は細い月。十五日の夜に見える月は丸く輝く明るい月という具合です。このことから、三日月や十五夜の月、二十三夜の月のように旧暦の日付そのものが月の形を表す言葉になりました。特に、明るい丸い月を表す「十五夜の月」は満月の同義語として定着しました。
◇中秋の名月
十五夜の月は旧暦時代であれば、暦月の15日の夜の月ですから、毎月必ず巡ってきます。つまり、1年に12回ないしは13回ある「十五夜の月」です(旧暦ではおよそ3年に1度、閏月(うるうづき)という臨時の月が入って、1年が13ヶ月になることがあります)。その中で他の十五夜の月とは違う、特別な十五夜の月として扱われるものがあります。それが旧暦八月の十五夜の月です。この十五夜の月は「中秋の名月」とも呼ばれ、この名月を眺める「お月見」が秋の重要な年中行事の一つとなりました。中秋の名月は特別な「十五夜の月」ということで
『十五夜の月』と言えば中秋の名月
を指すという使い方がされることがあります。「『花』と言えば桜」と同じ使い方です。
私たちの日常の生活に用いる暦が旧暦から新暦に切り替わったのは明治6(1873)年。それからおよそ150年が経過し、古くから続いてきた年中行事の多くが新暦の日付や、月遅れの日付で行われるようになってきた中、中秋の名月は今でも旧暦の日付で行われる数少ないものの一つとなりました。さすがに、この行事は「丸い月」が見える日でなければ話になりませんので、これは当然と言えば当然の結果ですね。
「十五夜の月」という月の呼び名は旧暦の日付から生まれた言葉であることは既に述べましたが、「中秋の名月」という言葉もまた旧暦と関係のある言葉です。旧暦では季節と暦月との間には次のような関係があると考えます。
この考え方からすると「八月」は秋の真ん中の月です。そして15日は暦月の真ん中の日ですから、「八月十五日」は秋の真ん中の日と云うことになりますから、この日は「中秋」と呼ばれ、その日の夜に見える十五夜の月を「中秋の名月」と呼ぶようになったのです。
ちなみに、表の最後の行に備考として書いた「孟・仲・季」は中国で兄弟の順番を表す場合などに使われる言葉で、長男・次男・末っ子のような意味となります。八月の異称の一つ「仲秋」はここから来ています。
◇月見と中秋節
数ある十五夜の月の中で特に八月十五日の月だけを重要視し、この月を観賞する「月見」という行事を行うようになった理由の一つとして、中国の「中秋節(ちゅうしゅうせつ)」という行事の影響が考えられます。
中秋節は中国の唐の時代(AD618-907)に盛んに行われるようになった中秋の月を愛でる行事で、秋の月を詠った詩が沢山残されるようになりました。唐の時代にはまだ、中秋節は明確な節日(節供のような暦の上での節目の日)となってはいなかったようで、上流階級の文人などの間での流行行事のようなものだったようですが、現在は中華人民共和国では祝日の一つとなっています(2008年から)。右上の写真は、中秋節には付きものの縁起物のお菓子、月餅です。
唐の時代と言えば、我が国では大陸の先進文化を取り入れようと、遣唐使を送っていた時代ですから、大陸からもたらされた様々な文物の一つとして日本に伝来したと考えられます。9世紀の半ばには日本でも、宮廷や公家たちの間でこの日の月を愛でる行事が行われていたようです。
◇月見は収穫祭?
では、中秋の名月の月見は全て中国の中秋節に発したものかというと、そうとばかりは言えないようです。
中秋の月見は、月の見える縁側などに机を置き、薄(すすき)やその他の秋の花を飾り、里芋や枝豆、茄子などの野菜や梨や柿などの果物、そして団子を供えるというのが一般的です。この中でも里芋や豆、そして団子は定番の供え物となっており、そこから中秋の名月は「芋名月」「豆名月」と呼ばれるようになりました。また、もう一つの供え物の定番である団子についても、その年に収穫された新米を用いて作ることに強い拘りのある地域も多いのは、この十五夜の祭がこうした作物の収穫祭の性格を帯びたものであることを感じさせます。
おそらく作物の収穫時期である秋にはこうした作物の収穫祭に相当する行事が古くからあり、それが中国から伝来した中秋節という行事と結びついて、現在の中秋の名月の月見という行事が出来上がったのだろうと考えます。
ちなみに、月見に備える秋の草花の定番である薄ですが、昔の稲の収穫時期は現在より大分遅かったため、関東~東北などの地域では中秋の名月の時期には間に合わないことから、薄の穂を「稲穂」に見立てたためだと言われます。こんなところからも月見は秋の収穫に感謝する、あるいは豊かな収穫を祈る行事なのだと感じることが出来ます。
◇中秋の名月は「満月」か?
太陰太陽暦の一種である旧暦の日付は月の満ち欠けの具合によく対応し、暦月の半ばである15日の夜のには丸い月が見えることから、十五夜の月は満月の同義語ととらえられるようになったことは既に書いたことですが、本当に
十五夜の月 = 満月
なのでしょうか?
ここからは「こよみのページ」らしく、中秋の名月の日は満月の日と一致するのか否かについて考えてみることにします。
実際に旧暦八月十五日の中秋の名月を調べてみると、実はこの日は満月の日でないことが多いのです。次の表は西暦2000年及び近年10年間の旧暦八月十五日の日付と実際の満月の日付を比較したものです。表の最後の列に旧暦八月十五日の日と満月の日の日数の差を示していますが、一致する(つまり、差が「0日」となる)日の方が少ないことが判ります。
どうしてこんなに違うかというと
十五夜の日(八月に限らず全ての)と満月の日がずれてしまう理由については、より詳しく書いた説明がありますので、興味のある方は下記の記事も併せてお読みください。
・意外と違う満月の日と十五夜の日(満月の月齢変化)
この文章を書いている2000年の旧暦八月十五日と満月の日付を比べてみるとその差は 2日。 「どっちですか?」 と聞かれたことがきっかけで、この話を書き始めました。確かめてみると、だいたい半分は本当の満月と旧暦八月十五日の日付が異なることがわかりました。
では、中秋の名月は正しい満月の日に行うべきかと言えば、そうではないと考えます。
「中秋の名月」は一種のお祭りですから厳密に満月であることが必要なのではなくて、「八月の十五夜の月」として誰でもその日がわかることが重要なのです。やはり中秋の名月は「十五夜お月様」でなくてはなりませんよね。
初出 2000/09/09
修正 2011/08/10 (文章加筆修正・画像追加)
修正 2020/09/30 (文章を大幅に加筆修正・画像追加)
街の灯りの明るい今でも、そんな具合ですから、人工の灯火の乏しかった昔は明るい月の夜はきっと特別な夜だったことでしょう。
明治の改暦で、新暦(太陽暦の一種のグレゴリオ暦)に改暦するまで、1200年以上も使われ続けてきた旧暦と呼ばれる暦は太陰太陽暦という月の満ち欠けと密接に結びついた暦で、旧暦では暦の日付を見れば月の満ち欠けのおよその具合が判りました。日付が三日ならその日に見える月は細い月。十五日の夜に見える月は丸く輝く明るい月という具合です。このことから、三日月や十五夜の月、二十三夜の月のように旧暦の日付そのものが月の形を表す言葉になりました。特に、明るい丸い月を表す「十五夜の月」は満月の同義語として定着しました。
◇中秋の名月
十五夜の月は旧暦時代であれば、暦月の15日の夜の月ですから、毎月必ず巡ってきます。つまり、1年に12回ないしは13回ある「十五夜の月」です(旧暦ではおよそ3年に1度、閏月(うるうづき)という臨時の月が入って、1年が13ヶ月になることがあります)。その中で他の十五夜の月とは違う、特別な十五夜の月として扱われるものがあります。それが旧暦八月の十五夜の月です。この十五夜の月は「中秋の名月」とも呼ばれ、この名月を眺める「お月見」が秋の重要な年中行事の一つとなりました。中秋の名月は特別な「十五夜の月」ということで
『十五夜の月』と言えば中秋の名月
を指すという使い方がされることがあります。「『花』と言えば桜」と同じ使い方です。
私たちの日常の生活に用いる暦が旧暦から新暦に切り替わったのは明治6(1873)年。それからおよそ150年が経過し、古くから続いてきた年中行事の多くが新暦の日付や、月遅れの日付で行われるようになってきた中、中秋の名月は今でも旧暦の日付で行われる数少ないものの一つとなりました。さすがに、この行事は「丸い月」が見える日でなければ話になりませんので、これは当然と言えば当然の結果ですね。
季節 | 旧暦の暦月 | ||
---|---|---|---|
春 | 一月 | 二月 | 三月 |
夏 | 四月 | 五月 | 六月 |
秋 | 七月 | 八月 | 九月 |
冬 | 十月 | 十一月 | 十二月 |
備考 | 孟 | 仲 | 季 |
この考え方からすると「八月」は秋の真ん中の月です。そして15日は暦月の真ん中の日ですから、「八月十五日」は秋の真ん中の日と云うことになりますから、この日は「中秋」と呼ばれ、その日の夜に見える十五夜の月を「中秋の名月」と呼ぶようになったのです。
ちなみに、表の最後の行に備考として書いた「孟・仲・季」は中国で兄弟の順番を表す場合などに使われる言葉で、長男・次男・末っ子のような意味となります。八月の異称の一つ「仲秋」はここから来ています。
◇月見と中秋節
数ある十五夜の月の中で特に八月十五日の月だけを重要視し、この月を観賞する「月見」という行事を行うようになった理由の一つとして、中国の「中秋節(ちゅうしゅうせつ)」という行事の影響が考えられます。
中秋節は中国の唐の時代(AD618-907)に盛んに行われるようになった中秋の月を愛でる行事で、秋の月を詠った詩が沢山残されるようになりました。唐の時代にはまだ、中秋節は明確な節日(節供のような暦の上での節目の日)となってはいなかったようで、上流階級の文人などの間での流行行事のようなものだったようですが、現在は中華人民共和国では祝日の一つとなっています(2008年から)。右上の写真は、中秋節には付きものの縁起物のお菓子、月餅です。
唐の時代と言えば、我が国では大陸の先進文化を取り入れようと、遣唐使を送っていた時代ですから、大陸からもたらされた様々な文物の一つとして日本に伝来したと考えられます。9世紀の半ばには日本でも、宮廷や公家たちの間でこの日の月を愛でる行事が行われていたようです。
◇月見は収穫祭?
では、中秋の名月の月見は全て中国の中秋節に発したものかというと、そうとばかりは言えないようです。
中秋の月見は、月の見える縁側などに机を置き、薄(すすき)やその他の秋の花を飾り、里芋や枝豆、茄子などの野菜や梨や柿などの果物、そして団子を供えるというのが一般的です。この中でも里芋や豆、そして団子は定番の供え物となっており、そこから中秋の名月は「芋名月」「豆名月」と呼ばれるようになりました。また、もう一つの供え物の定番である団子についても、その年に収穫された新米を用いて作ることに強い拘りのある地域も多いのは、この十五夜の祭がこうした作物の収穫祭の性格を帯びたものであることを感じさせます。
おそらく作物の収穫時期である秋にはこうした作物の収穫祭に相当する行事が古くからあり、それが中国から伝来した中秋節という行事と結びついて、現在の中秋の名月の月見という行事が出来上がったのだろうと考えます。
ちなみに、月見に備える秋の草花の定番である薄ですが、昔の稲の収穫時期は現在より大分遅かったため、関東~東北などの地域では中秋の名月の時期には間に合わないことから、薄の穂を「稲穂」に見立てたためだと言われます。こんなところからも月見は秋の収穫に感謝する、あるいは豊かな収穫を祈る行事なのだと感じることが出来ます。
◇中秋の名月は「満月」か?
太陰太陽暦の一種である旧暦の日付は月の満ち欠けの具合によく対応し、暦月の半ばである15日の夜のには丸い月が見えることから、十五夜の月は満月の同義語ととらえられるようになったことは既に書いたことですが、本当に
十五夜の月 = 満月
なのでしょうか?
ここからは「こよみのページ」らしく、中秋の名月の日は満月の日と一致するのか否かについて考えてみることにします。
実際に旧暦八月十五日の中秋の名月を調べてみると、実はこの日は満月の日でないことが多いのです。次の表は西暦2000年及び近年10年間の旧暦八月十五日の日付と実際の満月の日付を比較したものです。表の最後の列に旧暦八月十五日の日と満月の日の日数の差を示していますが、一致する(つまり、差が「0日」となる)日の方が少ないことが判ります。
西暦年 | 旧暦8/15 | 曜日 | 満月 | 差 |
---|---|---|---|---|
2000 | 09/12 | 火曜 | 09/14 | +2日 |
(以下は近年10年分の比較) | ||||
2015 | 09/27 | 日曜 | 09/28 | +1日 |
2016 | 09/15 | 木曜 | 09/17 | +2日 |
2017 | 10/04 | 水曜 | 10/06 | +2日 |
2018 | 09/24 | 月曜 | 09/25 | +1日 |
2019 | 09/13 | 金曜 | 09/14 | +1日 |
2020 | 10/01 | 木曜 | 10/02 | +1日 |
2021 | 09/21 | 火曜 | 09/21 | 0 日 |
2022 | 09/10 | 土曜 | 09/10 | 0 日 |
2023 | 09/29 | 金曜 | 09/29 | 0 日 |
2024 | 09/17 | 火曜 | 09/18 | +1 |
※表示期間を更新(2017.9) |
- 旧暦1日(ついたち)の決め方
旧暦の1日は「朔(新月)となる瞬間を含んだ日」ですので、0時0分に朔となる日も、23時59分になる日も同じく「1日」になります。
これを考慮すると旧暦15日の月齢は、最小13.0,最大15.0,平均14.0となります。
- 朔から望までの日数(平均)
朔(新月)から望(満月)までの平均日数は、約 14.76日で、これが本当の満月の月齢の平均となります。これは 1の旧暦15日の月齢平均より0.76日分だけ長い値です。このため、実際の満月は旧暦15日より遅れる傾向があります。
- 朔と望までの実際の日数
月の軌道が円でないなどの理由から、朔から望までの日数は約13.9~15.7日の間で変化します。
十五夜の日(八月に限らず全ての)と満月の日がずれてしまう理由については、より詳しく書いた説明がありますので、興味のある方は下記の記事も併せてお読みください。
・意外と違う満月の日と十五夜の日(満月の月齢変化)
この文章を書いている2000年の旧暦八月十五日と満月の日付を比べてみるとその差は 2日。 「どっちですか?」 と聞かれたことがきっかけで、この話を書き始めました。確かめてみると、だいたい半分は本当の満月と旧暦八月十五日の日付が異なることがわかりました。
では、中秋の名月は正しい満月の日に行うべきかと言えば、そうではないと考えます。
「中秋の名月」は一種のお祭りですから厳密に満月であることが必要なのではなくて、「八月の十五夜の月」として誰でもその日がわかることが重要なのです。やはり中秋の名月は「十五夜お月様」でなくてはなりませんよね。
中秋の名月と関係する次の記事もお読みください。
- 余 談
- 「中秋の名月」か「仲秋の名月」か?
- 季節は八月なので「仲秋」(「仲秋」は八月の異称の一つ)を使いたいところですが八月十五日と限定すると秋の真ん中なので「中秋」が正しい。ということで八月十五日の名月は「中秋の名月」です。
ちなみに、「中秋の名月」と「仲秋の名月」の使われる比率を調べてみようかと、Google検索で両者を比べてみたら
中秋の名月:仲秋の名月 = 1000万:132万 (2020/9/29 調べ)
でした。ついでですが、「仲秋の名月」で検索したら、Googleさんは「もしかしたら『中秋の名月』?」と正しい名称を検索キーワードの候補に挙げていました。さすが、Googleさん! - 八月十五日さん?
- 日付に関係する難読姓を調べていたら、「八月十五日」と書いて「なかあき」と読む名字があるとか? 本文の中で説明したとおり「八月十五日」は「中秋」なので、これを訓読みして「なかあき」と読むのだとか。本当にいらっしゃるのだろうか?
- 中秋の名月の晴天率
- 月見といえば「中秋の名月」と言うのですが、この時期(現在の暦の 9~10月)は台風のシーズンであり、また秋の長雨の時期にもかかりますから、昔からあまり晴天率が良くなかったようです。
江戸時代の書物には「中秋の名月、十年に九年は見えず」のような記述もあるほど。さて、今年の名月は見えるのでしょうか?
初出 2000/09/09
修正 2011/08/10 (文章加筆修正・画像追加)
修正 2020/09/30 (文章を大幅に加筆修正・画像追加)
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