十日夜と三の月
十日夜と三の月
 旧暦の十月十日は十日夜(とおかんや)と呼ばれる日です。
この日の夜に昇る月は上弦の半月から3日ほど経った、やや丸みを帯び始めた月で、「十日夜の月」「三の月」などと呼ばれました。

「三の月」は最後のお月見の月 
十日夜の月 十日夜の月の別名「三の月」とは、中秋の名月(八月十五日の十五夜の月)、後の月(九月十三日の十三夜の月)と続いた月見の月の三番目(そして最後)の月の意味です。秋の半ばから続いたお月見行事の最後を締めくくる最後の月見の月です。ただし月見の行事という観点からすると三の月はちょっと影が薄い(大分薄い?)お月様で三の月の月見の話はあまり耳にしません。それでも長野県北安曇郡などでは十日夜の月を「稲の月見」と呼び、この夜の月見を中秋の月見、後の月見とを合わせて三月見と呼んでいるとのことなので、無いわけではありません。
案山子 ちなみにこの日には、お月様と田んぼの案山子に餅一ずつ供えるのだとか。「稲の月見」という呼び名はもしかしたら、刈り上げられて稲架に掛けられた稲が月を眺めるということからでしょうか。それにしても、お供え物が「餅一つ」とは、少々さみしい気がしますね。
 さてさて稲の月見ということで、十日夜の月は稲架の上の稲が月を見るのにはちょうどよい時期だったのかも知れませんが、人が眺める月見として考えるとちょっと辛いです。だって、寒いですから。旧暦の十月十日といえば新暦では11月の半ば頃(これを書いている2021年でいえば11月14日)。もう初冬ですからね。ただ寒いながらもこの時期の空はとても澄んでいますから、お月様の光は冴え冴えとして美しいのも確か。防寒対策をバッチリ行っておけば、初冬の月見もよいかもしれませんね。

十日夜の行事 
 旧暦時代の十月十日には「十日夜」という行事が行われていました(十日に「十日夜」という行事があるのは当たり前か・・・)。十日夜はどちらかというと東日本で多く行われていた行事です(ただし、西日本では非常によく似た「亥子(いのこ)」と呼ばれる行事が行われています)。
藁鉄砲(画) 十日夜行事の内容は夜に藁鉄砲(わらでっぽう)で地面を打ってもぐらの害を祓う(藁鉄砲で地面を打つのは子ども達の役目)とか、大根の背が伸びて肥え太るのを祈るために畑にぼた餅を埋めるといったもので、農業と強く結びついたものが目立ちます。

十日夜は田の神様が山に帰る日 
 十日夜の行事が農業と結びついていると書きましたがそれもそのはず、この十日夜の日は、田の神様が一年の里での務めを終えて山に帰る日だと考えられていたのです。この日には田の神様が里を去ってしまいますから、昔から天候などの都合から稲刈りが遅れたとしても、この日までには必ず稲の刈り取りを済ませてしまわないといけないと考えられていました。この日までと書きましたが、ただしくはこの日の前日までにです。なぜなら十日夜の当日は、田んぼや山に入ることが禁忌とする風習があったからです。
田の神様山に帰る なぜこの日に田んぼや山に入ることが禁忌とされたのかといえば、この十日夜の日は田の神様が山に帰る日ですから、この日に田んぼや山に足を踏み入れると山へと帰る田の神様の旅路の邪魔になるため、蹴散らされてしまって災いが降りかかることになるからです。十日夜の日に田んぼに入ることが禁忌とされるのですから、その前日までには刈り取りを終えないといけなかったというわけです。
 ちなみに、現在の稲作の感覚からすると新暦の11月の半ば頃にあたる十日夜までに稲を刈り取るというのは、大分遅いように感じるのですが、これは現在の稲が品種改良の結果、早生化が進んで田植えから稲刈りまでの時期が全体に1~2ヶ月も早まっているからです。明治以前の時代には関東以北の地域では十日夜の頃まで刈り取りが遅れることは、ままあることだったようです。

大根の年とり 
 十日夜の日に行われる農業と結びついた行事には「大根の年とり」等というものがあります。大根は十日夜の一夜で大きくなるといわれ、この日には大根の畑に足を踏み入れないという禁忌があります(畑に足を踏み入れ、この日に大根が育つ際にたてる音を聞くと死んでしまうとか・・・恐ろしい。でも大根が育つ音ってどんな音?)が、その逆にこの日に大根の豊作を願って大根畑にぼた餅を埋める地域もあります(「ふるさと東京民俗歳時記」の田無市(現西東京市)の風俗)。一見するとまったく逆のことのように思えますが、どちらもこの日に正月の神供に欠かせない大根に神霊が宿る日と考えたことから生まれた行事と考えられます。十日夜には、神様は大根畑に在り? なんですね。
大根ぼた餅


十日夜と亥子 
 最後に、この東日本の十日夜の行事によく似た「亥子(いのこ)」あるいは「玄猪(げんちょ)」と呼ばれる行事に触れておきましょう。こちらは西日本を中心とした行事です。その日取りは十月(亥の月)の亥の日となっています(2021年は11月11日が旧暦の十月最初の亥の日でした)。
 この日には田に足を踏み入れるのを忌むことや、子供達が藁鉄砲で地面を打つことが行われることなど、その内容は十日夜とよく似ています。こんなによく似た行事ですし、行われる時期もほぼ一致していることから、関東などでは両方の行事が交錯しているようです。例えば埼玉県川越市付近では、旧暦の十月十日を「十日夜」とも「田の亥子」ともよんでいたようです。旧暦では [十月=亥の月] でしたから、その連想で [十日=亥の日] と考えれば、こちらも十月十日、十日夜と同じといえないこともないのかな?
 亥子の話も書きたいところですが、とりとめなくなりそうですので本日のところは、亥子の行事についてはさわりだけにしておきます。また何時か亥子の記事を書くまで、しばらくお待ちください。

以上、「十日夜と三の月」の話でした。

余 談
三月見、やっと完結
 本文でも触れましたが、十日夜の月見は中秋の名月、後の月と続いた月見の最後。三つ合わせて三月見の完成ですが、他の二つは20年も前に書いていたのに、三番目だけかかずに今年になってしまいました。20年以上かけてやっと三月見完成です。よかった~。
※記事更新履歴
初出 2021/11/14
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