暦と天文の雑学
http://koyomi8.com/reki_doc/doc_2158.html
七十二候(58) 虹かくれて見えず
今回は七十二候の五十八候(11/22~11/25頃)、「虹かくれて見えず」と、これに係わる虹の話を採り上げます。
十一月の下旬に
「虹かくれて見えず」
の候があります。これは七十二候の五十八候、二十四節気の「小雪」の初候にあたる候です。
二十四節気の「小雪」は冬の始めの頃に位置する節気で、冷え込みが厳しくなり、雨も雪に変わる頃を意味する言葉となっています。この節気の言葉のとおり、この頃になると北国からは初雪や初氷の知らせが届くようになります。
この節気の言葉のとおり、この頃になると、雨は徐々に雪へと姿を変えてゆき、雨そのものの姿を消えてゆきます。こうして雨が姿を隠してしまうと、同時に姿を隠してしまうものがあります。それは虹です。
今回採り上げた「虹かくれて見えず」は、そうした冬の初めの情景を表す言葉なのです。
◇七十二候「虹蔵不見」
「虹かくれて見えず」は中国から伝来した時の書き方では「虹蔵不見」となります。元の四文字だけでは読みにくく、意味も伝わりにくいので、”こよみのページ”ではこれを「虹かくれて見えず」と読み下して表示しています。
さて、初冬のこの時期になぜ「虹かくれて見えず」とあるかというとそれは、虹と雨は切っても切れない関係にあるからです。冬になって雨が姿を隠してしまうと、虹もその姿を隠してしまうのです。
虹は「虫偏」の文字であることからもわかるとおり、古代中国で虹は生き物、竜の眷族(一族)の一つであると考えられていました。竜は水を操る神獣とされますから、その眷族である「虹」にも水を操る力があると考えられました。そして虹が操る水とは雨のことです。
現代の私たちは、冬になって雨が降らなくなると虹が出ないと考えますが、古代の人たちは、冬は雨を呼ぶ竜、虹が姿を隠してしまうので雨が降らないと考えたのです。現代の私たちとは違った見方で、虹と雨の関係を捉えていたようです。
◇時雨虹(しぐれ にじ)
冬は雨が降らない季節とは書きましたが、初冬の日本ではまだまだ雨が降ります。これは七十二候や二十四節気が発明された中国の内陸部に比べ、現在の日本の気温が高いという気象条件の違いによるものです(日本においても、時代によって年平均気温は3~6℃も変化しました)。
初冬の日本に降る雨で思い出されるのは「時雨(しぐれ)」です。
時雨は、短時間にサッと降って雨が上がり、雨が上がったと思ったらまたサッと降り出す、そんな雨のです。
虹は、雨がなければその姿を現しませんが、かといって雨だけがあれば姿を現すというものでもありません。虹が姿を現すためには、雨の他に太陽の光が必要なのです。雨と太陽の光という組み合わせが必要な虹にとって、この降っては晴れ、晴れては降る時雨は雨と太陽の光の両方が揃う好都合な雨なのです。
時雨雲が雨を降らせ、やがて雲が頭上を去って青空が顔を覗かせると、遠ざかって行く雨に、頭上の青空から覗いた太陽の光が当たって虹が生まれる、そんなことがよくあります。こうした虹が「時雨虹(しぐれにじ)」です。
虹は太陽の光が地平線に近い低い角度から差し込むほど、空の高みまで広がる大きな姿となります。初冬の太陽は、夏のそれより地平線に近い低い位置にありますから、この時期に現れる時雨虹の多くはとても大きく見事です。
ちょうど「虹かくれて見えず」の頃に、見事な時雨虹を見たことがあります。右端は近くの民家の屋根から立ちあがり、空に弧を描いて左端が山に隠れるまで途切れることのない半円の、それは見事な時雨虹でした。しかもその見事な虹は10分以上も見えていました。
さらにこの見事な虹の外側にも、かなりはっきりしたもう一つの虹が見えていました。
◇二重の虹
時々、二重の虹が見えることがありますが、そうした時に見える外側の虹のほとんどは、有るか無しかの淡いものなのですが、その時に見た虹は、見て直ぐに二重の虹と分かるほど、くっきりしたものでした。
虹は生き物だと考えていた古代中国では、時として見えるこうした二重の虹を雌雄のつがいの虹だと考え、雄を「虹(コウ)」、雌を「霓(ゲイ)」と分けて呼んだそうです。
時折見られる二重の虹は、内側が雄の虹で外側が霓。あの日見た時雨虹は、つがいの虹と霓とが仲良く並んだ姿だったというわけですね。
冬の本番となれば姿を消してしまう虹ですが、これからも初冬の頃になれば、隠れる直前の虹たちが、見事な時雨虹となって空に弧を描く姿を見ることができるでしょう。みなさんも時雨の季節には、時雨が止んだ後の空に、虹と霓の姿を探してください。
余談寒い時代に生まれた、本朝七十二候?
現在使われる七十二候は、中国から伝わった七十二候を、日本の事物や気候にあわせて手直ししたもので「本朝七十二候」とも呼ばれています。本朝七十二候は、日本独自に作られた最初の暦である、貞享暦(1685~1754年。「大和暦」ともいう)に採用されたものですが、この貞享暦が作られた時代は、日本の平均気温が今よりもかなり低い(4~5℃)時代だったようです(世界的に見てもこの時代は、「小氷期」と呼ばれる寒い時代でした)。
現在も使われている本朝七十二候が生まれたのは、日本が寒い時代だったようです。これほど寒い時代だったとすると、この時期には本当に雨は降らなくなっていて、実際に「虹かくれて見えず」という季節だったのかもしれません。
※更新履歴
初出 2025/11/24
今回は七十二候の五十八候(11/22~11/25頃)、「虹かくれて見えず」と、これに係わる虹の話を採り上げます。
七十二候とは
七十二候は二十四節気の各節気をさらに3つの候に細分したもので、一候の長さは5日程度。季節の移ろいを気象や動植物の成長・行動の様子を表す言葉に託して表したものです(※七十二候の日付け、詳しい解説は七十二候計算でご覧ください)。
七十二候は二十四節気の各節気をさらに3つの候に細分したもので、一候の長さは5日程度。季節の移ろいを気象や動植物の成長・行動の様子を表す言葉に託して表したものです(※七十二候の日付け、詳しい解説は七十二候計算でご覧ください)。
十一月の下旬に
「虹かくれて見えず」
の候があります。これは七十二候の五十八候、二十四節気の「小雪」の初候にあたる候です。
二十四節気の「小雪」は冬の始めの頃に位置する節気で、冷え込みが厳しくなり、雨も雪に変わる頃を意味する言葉となっています。この節気の言葉のとおり、この頃になると北国からは初雪や初氷の知らせが届くようになります。
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この節気の言葉のとおり、この頃になると、雨は徐々に雪へと姿を変えてゆき、雨そのものの姿を消えてゆきます。こうして雨が姿を隠してしまうと、同時に姿を隠してしまうものがあります。それは虹です。
今回採り上げた「虹かくれて見えず」は、そうした冬の初めの情景を表す言葉なのです。
◇七十二候「虹蔵不見」
「虹かくれて見えず」は中国から伝来した時の書き方では「虹蔵不見」となります。元の四文字だけでは読みにくく、意味も伝わりにくいので、”こよみのページ”ではこれを「虹かくれて見えず」と読み下して表示しています。
さて、初冬のこの時期になぜ「虹かくれて見えず」とあるかというとそれは、虹と雨は切っても切れない関係にあるからです。冬になって雨が姿を隠してしまうと、虹もその姿を隠してしまうのです。
虹は「虫偏」の文字であることからもわかるとおり、古代中国で虹は生き物、竜の眷族(一族)の一つであると考えられていました。竜は水を操る神獣とされますから、その眷族である「虹」にも水を操る力があると考えられました。そして虹が操る水とは雨のことです。
現代の私たちは、冬になって雨が降らなくなると虹が出ないと考えますが、古代の人たちは、冬は雨を呼ぶ竜、虹が姿を隠してしまうので雨が降らないと考えたのです。現代の私たちとは違った見方で、虹と雨の関係を捉えていたようです。
◇時雨虹(しぐれ にじ)
冬は雨が降らない季節とは書きましたが、初冬の日本ではまだまだ雨が降ります。これは七十二候や二十四節気が発明された中国の内陸部に比べ、現在の日本の気温が高いという気象条件の違いによるものです(日本においても、時代によって年平均気温は3~6℃も変化しました)。
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初冬の日本に降る雨で思い出されるのは「時雨(しぐれ)」です。
時雨は、短時間にサッと降って雨が上がり、雨が上がったと思ったらまたサッと降り出す、そんな雨のです。
虹は、雨がなければその姿を現しませんが、かといって雨だけがあれば姿を現すというものでもありません。虹が姿を現すためには、雨の他に太陽の光が必要なのです。雨と太陽の光という組み合わせが必要な虹にとって、この降っては晴れ、晴れては降る時雨は雨と太陽の光の両方が揃う好都合な雨なのです。
時雨雲が雨を降らせ、やがて雲が頭上を去って青空が顔を覗かせると、遠ざかって行く雨に、頭上の青空から覗いた太陽の光が当たって虹が生まれる、そんなことがよくあります。こうした虹が「時雨虹(しぐれにじ)」です。
虹は太陽の光が地平線に近い低い角度から差し込むほど、空の高みまで広がる大きな姿となります。初冬の太陽は、夏のそれより地平線に近い低い位置にありますから、この時期に現れる時雨虹の多くはとても大きく見事です。
ちょうど「虹かくれて見えず」の頃に、見事な時雨虹を見たことがあります。右端は近くの民家の屋根から立ちあがり、空に弧を描いて左端が山に隠れるまで途切れることのない半円の、それは見事な時雨虹でした。しかもその見事な虹は10分以上も見えていました。
さらにこの見事な虹の外側にも、かなりはっきりしたもう一つの虹が見えていました。
◇二重の虹
時々、二重の虹が見えることがありますが、そうした時に見える外側の虹のほとんどは、有るか無しかの淡いものなのですが、その時に見た虹は、見て直ぐに二重の虹と分かるほど、くっきりしたものでした。
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虹は生き物だと考えていた古代中国では、時として見えるこうした二重の虹を雌雄のつがいの虹だと考え、雄を「虹(コウ)」、雌を「霓(ゲイ)」と分けて呼んだそうです。
時折見られる二重の虹は、内側が雄の虹で外側が霓。あの日見た時雨虹は、つがいの虹と霓とが仲良く並んだ姿だったというわけですね。
冬の本番となれば姿を消してしまう虹ですが、これからも初冬の頃になれば、隠れる直前の虹たちが、見事な時雨虹となって空に弧を描く姿を見ることができるでしょう。みなさんも時雨の季節には、時雨が止んだ後の空に、虹と霓の姿を探してください。
余談
現在も使われている本朝七十二候が生まれたのは、日本が寒い時代だったようです。これほど寒い時代だったとすると、この時期には本当に雨は降らなくなっていて、実際に「虹かくれて見えず」という季節だったのかもしれません。
【参考資料】
本朝七十二候が作られた時代の日本の気温が低かったという例として、「屋久杉の年輪炭素同位体から得られた平均気温の推移」を掲載します。一例に過ぎませんが、参考として御覧ください。
※資料出典は『鹿児島県環境保護センター所報 第16号(2015)』
本朝七十二候が作られた時代の日本の気温が低かったという例として、「屋久杉の年輪炭素同位体から得られた平均気温の推移」を掲載します。一例に過ぎませんが、参考として御覧ください。
※資料出典は『鹿児島県環境保護センター所報 第16号(2015)』
初出 2025/11/24
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