お彼岸の話し
お彼岸の話し
「春分・秋分の日に墓参りをするのはなぜですか?」
 唐突に疑問符で始まった今回の話題は「彼岸」です。

彼岸と行事
春は牡丹・・・
牡丹の花
萩の花
・・・秋は萩
 彼岸は春分の日と秋分の日の前3日と後3日の間の7日間(春・秋分も含み)。暦の上では雑節の中に入ります(春分日・秋分日はこちらで計算できます)。
 春分(秋分)の日を「彼岸の中日」といい、その3日前の日を「彼岸の入り」といいます。彼岸の入りから中日の3日後の日までの7日間が彼岸の期間です。
 この彼岸は、仏教行事であるのですが、日本独特の行事で他の仏教国には無いものだそうです。ちなみに、「彼岸」とだけ言った場合、これは春の彼岸を指します。秋の彼岸は「秋彼岸」または「後の彼岸」と言うのが本当です。
 昔から、彼岸には先祖の霊を敬い墓参りをする風習があります。また地方によって若干の違いはありますが、ぼた餅、おはぎ、団子、海苔巻き、いなり寿司などを仏壇に供え、家族でもこれを食すと言った風習も残っています。

 「彼岸入り」はあるけど「彼岸明け」はない? 
「彼岸」とは、悟りの境地である彼方の岸に到達することであり、その境地から明けることは無いことから、「彼岸明け」という言葉は使わないとか。「彼岸明け」とうっかり使っちゃいそうですね。注意しなくちゃ。

 ちなみに、こよみのページの雑節計算では、彼岸の期間の最終日を「彼岸の果て」と書き表しています。
2021/09/26 追記

彼岸のルーツは?
 彼岸は仏教用語。元々梵語(ぼんご)の波羅蜜多(はらみつた)を漢訳した「到彼岸(とうひがん)」のことだそうです(梵語も漢語も知らないから信じるしかないです・・)。煩悩に満ちた世界「此岸(しがん)」から解脱した悟りの世界、涅槃を指します。こちら(此方)の岸とあちら(彼方)の岸と言う意味だと考えるとわかりやすいですね。
 さらに煩悩に満ちたこちらの世界を現世、涅槃の世界を死後の極楽浄土ととらえ、あちらの世界と考えたところから、亡くなった先祖たちの霊が住む世界を「彼岸」と考えるようになりました。このことから「彼岸に墓参り」と言うことはわかりますね。
 なお、この時期には「彼岸会」という仏教の法会が開かれ、これが現在の「彼岸」の由来となります。最初に行われた彼岸会は大同元年(AD806年) に平城天皇が霊を鎮めるために行ったと言われております。

昔の彼岸の日付 (2005/01/10 追加)
 現在は、春分・秋分の日を中日として前後3日の計7日間が彼岸の期間ですが、時代によってこの辺には違いがあります。質問をいただいて、別のページで解説を致しましたので興味のある方は、お彼岸の日付の変遷をお読みください。

春分・秋分と彼岸の関係
 さて、ここからは春分(秋分)と彼岸の関係を見てみましょう。
問.春分の日・秋分の日はどんな日か
1.太陽が真東から昇り、真西に沈む日
2.昼と夜の長さが同じ日
3.お休みの日(祝日)
 実は、多かれ少なかれ、上記の3つの内容は全て、彼岸と関係があります。
1.太陽が真東から昇り、真西に沈む日
真西に沈む夕日が
浄土への道を示す
夕日
 先ほどからたびたび登場する涅槃の世界を、「西方浄土」と呼ぶことがあるとおり、阿弥陀仏の極楽浄土は「西」にあるとされています。そのため、真西に太陽が沈む春分の日、秋分の日は夕日が極楽浄土への道しるべとなると考えられたのです。
 この日沈む太陽が示す極楽浄土への道を「白道(びゃくどう)」といい、仏の示してくれたこの白道を信じて進めば必ず極楽浄土に至ると言う信仰が生まれました。この信仰は、浄土思想が盛んになるのと軌を一にして広がって行き、現在に至っています。
 
2.昼と夜の長さが同じ日
 仏教の説くところの「中道」の精神を昼夜を二分すると言う点で、春分の日・秋分の日があらわしていると考えた。
(春分・秋分の日の日の出から日の入りまでの時間を計算してみると、実際は同じになりません。この辺の事情は、日の出日の入りの時刻とはどう定義されているかという問題が関係します。日の出、日の入りの時刻とは?も併せて読んでいただけると多少は納得できると思います)
 
3.お休みの日(祝日)
 春分、秋分は祝日。主旨はそれぞれ、「自然をたたえ、生物をいつくしむ」と「祖先をうやまい、無くなった人々をしのぶ」と書かれています(法令に)。特に秋分の日の趣旨は、まさに現在の彼岸そのもの。彼岸の中日を祝日にしたと言ってもよいようですね。
 ちなみに、戦前は同じ日が「春季皇霊祭」「秋季皇霊祭」という祭日で、これは皇室内の「もと仏式行事」が神事化し祭日になったものです。

農耕と彼岸
 春分と秋分は、農耕と言う観点から眺めると、
 春分:種苗の時期
 秋分:収穫の時期
にあたり、作物を育てる太陽と自分たちを守る祖先神への信仰と言う土着の信仰が仏教伝来以前からあり、春分には豊穣を祈り、秋分には収穫に感謝して供え物をしたことが原型と考えられます。
 仏教が伝来すると、春分・秋分がそれぞれ彼岸の中日にあたることもあり、仏教の習俗と古来の風習が混交して現在の姿になったと思われます(ちなみに、サンスクリット語の[bhukta (飯)]+[mridu(柔らかい)]が「ぼた+もち」となって定着したのだと言われます(年中行事を「科学」する・永田久著))。

彼岸と墓参りの習慣
墓参り これまで書いてきたような様々な要因が混交し、江戸時代頃から彼岸に墓参りをすると言った風習が起こったと考えられています。
 また、彼岸の時期は気候的にもよい時期であるため、墓参りにかこつけて野外への遊山をすると言った娯楽としての側面もあったと考えられます。

 さてさて、今年のお彼岸には、みなさんお墓参りはする予定?
 私はと言えば、ぼた餅の方が墓参りより気になりますが。
余 談
ぼた餅とおはぎ
ぼたもち ぼた餅は「牡丹餅」、おはぎは「御萩」。牡丹の花は春に咲きますので、春は牡丹餅といい、萩の花の咲く秋は御萩餅(あるいは、萩の餅)と言うそうです。
 昔、母に牡丹餅は牡丹の花の様に大きめに作り、御萩は萩の花の様に小振りに作るのだと教わりましたが、真偽の方はどうなのでしょうか?
後日追記
 さらに花のイメージとして、ぼた餅はこし餡で、おはぎは粒餡で作るのだそうです。このHPを御覧の方からメールで教えていただきました。有り難うございます。

 粒餡かこし餡かについては、秋の小豆は収穫したてで皮が柔らかいので皮ごと粒餡とし、収穫から日が経って皮が固くなる春には、皮を取り去ってこし餡としたとも言われます。おそらく当初はそうした調理上の問題で粒餡とこし餡の違いが出来、それを季節の花になぞらえて説明するようになったものと考えられます。それはやがて伝統となって、保存技術が向上し、春でもおいしい粒餡が作れるようになっても、春と秋とでは違った作りをし続けているのだと思います。
後日追記・その二
 「おはぎ」は、宮中でお重に入れられ「はぎもち」と言われていたそうです。そこで女官の人達の女房言葉で「おはぎ」になりました。
とK.O さんが教えてくださいました。
 ただ、牡丹餅も女房言葉で「おぼた」といったとも言ったらしいので、親しんだものの身分の違いと言うよりやはり、時期とまぶした餡の状態での違いでの呼び名の違いのような気がします。さて真相は?
暑さ寒さも彼岸まで
 彼岸の時期は、一年で一番過ごしやすい時期ですね。ただ、春と秋の彼岸を比べるとその時期の平均気温など全然違うのですけれど。
※記事更新履歴
初出 2001/06
更新 2005/01 一部加筆
更新 2020/09 画像修正
更新 2021/09 「彼岸明け」はない? を追記
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