旧暦の話(きゅうれきのはなし)
旧暦の話(きゅうれきのはなし)
 「今日は旧暦の八月十五日、中秋の名月が・・」と言った具合に「旧暦」はよく耳にする言葉ですが、改めて
  旧暦って何でしょう? 
と問われたら、さてなんと答えますか?
ここでは、解っているようでよく解らない、「旧暦」について説明いたします。

  • 辞書ではどう説明されているか 
     旧暦の説明の手始めとして、辞書ではどう説明されているかを見てみることにしましょう。
      【旧暦】 (きゅうれき) 
    1. 旧制のこよみ。古い暦法。
    2. 1873年(明治6)から採用した太陽暦(新暦)に対して、それ以前に使用していた太陰太陽暦の通称。
    3. 《岩波書店 広辞苑・第六版より》
    辞書では、こんな具合に説明されていました。
    1が旧暦という言葉の本来の意味でしょうが、現在、旧暦という言葉が使われる場合は、 2の意味で使うことが多いと思います。もっとも、この呼び方でなければならないという規則があるわけではありませんので誤解しないように。
     こよみのページでは、特に断らない限り世間一般で使われているだろう意味(広辞苑の説明 2の意味)で、新暦と旧暦という表現を用いています。

     新暦と旧暦がいつ切り替わったかというと、辞書の説明 2にあるとおり、明治 6年(西暦1873)です。この年の1月1日から、現在使われている新暦(太陽暦の一種であるグレゴリオ暦に準拠した暦)が使われ始め、現在に至っています。
     この年の前年である明治 5年までは旧暦(このときは太陰太陽暦の一種である天保壬寅暦)が使われておりました。旧暦が使われてた明治 5年は12月 2日という大変中途半端な日付で終わりとなり、翌日が新暦の明治 6年 1月 1日となりました。この旧暦と新暦の切り替えを明治改暦と呼んでいます。
     明治改暦がなぜこの時期に行われたのかについては、明治改暦の周辺事情という解説記事を書いておりますので、そちらもあわせてお読みください。
  • 明治改暦以前の太陰太陽暦は、ずっと同じものだったのか? 
     いわゆる旧暦は、暦の種類としては太陰太陽暦と呼ばれるものの一種で、月の朔望(さくぼう:新月と満月の意味)と太陽の運行を組み合わせた暦です。その最大の特徴は、暦月の始まりが朔(新月)を含む日であるため、暦の日付は月齢とほぼ一致している(実際には日付は「1」から始まり、月齢は「0」から始まることから、月齢の方が日付よりいつも少しだけ小さい)ということです。この点は、新暦と大きく異なる点です。

    江戸時代に
    使われた暦
    暦名称使用期間(年数)
    宣明暦AD 862-1684年(823年)
    貞享暦AD 1685-1754年(70年)
    宝暦暦AD 1755-1797年(43年)
    寛政暦AD 1798-1843年(46年)
    天保暦AD 1844-1872年(29年)
     日本で公式に使われた暦は、現在の新暦以外はすべて太陰太陽暦ですから、一見すると同じもののように思われがちで、明治改暦以前の太陰太陽暦の暦は全部ひっくるめて「旧暦」と通称される(広辞苑の説明 2)のですが、実際には計算方法や計算に用いる数値は時々変わっていました。
     計算方法や数値を変更することも暦を変えることですから、こうした変更がなされるとこれも改暦にあたります。つまり、私たちがひっくるめて「旧暦」と通称している明治改暦以前の太陰太陽暦も、一つではないのです。江戸時代だけに限ってみても、 5種類の暦が使われています(つまり江戸時代には 4度の改暦があった)。

  • 「今の旧暦」はどんな暦? 
     現在もいろいろなカレンダーや運勢暦の類に、「今日は旧暦では×月○日」と書かれているのを見かけることがあると思います。この「こよみのページ」にも至る所に新暦と旧暦の日付が並んで表示されています。たとえば、

      新暦:平成12年4月3日 → 旧暦:2月29日 

    という具合です。
    「一口に旧暦と言ってもいろいろな暦があった」と説明したばかりですが、では現在の新暦の日付を旧暦の日付に変換する場合は、いったいどの旧暦を使っているのでしょうか?
     その答えは、明治改暦の直前まで使用されていた、日本最後の正式な太陰太陽暦である「天保暦(天保壬寅暦)」だというのが一般的です。
    天保暦の例
    嘉永二年(1849)略暦の最初の頁
    嘉永二年略暦年首
     「一般的」とは、なんとも曖昧な答えですが、明治改暦後は旧暦を管理する公的機関が存在しないので、旧暦に関しては誰がどの計算方式で計算しようと

     計算する人の勝手 

    というのが、現在における旧暦の本当の姿なので、このように説明するしかありません。とはいえ、よほど特殊な使い方をしない限り、一番最近まで使われていた天保暦をお手本にして、その計算の方法を踏襲するのが普通でしょうから、旧暦の計算といえば天保暦の計算方法に準じて行うのが「一般的」なのです。

  • 「今の旧暦」は、天保暦と同じものか? 
     現在、新暦と旧暦の変換に用いられる旧暦は、実のところ天保暦とイコールではありません。

     旧暦を計算するためには、正確な「朔(さく)」の瞬間、つまり新月となる瞬間と、二十四節気の節入りの瞬間を求める必要があります。このためには月と太陽の正確な位置を計算する必要があります。

     天保暦は、江戸時代に作られたものですから、そこで使われている月や太陽の位置計算理論も江戸時代のもの。それより遙かに精密な理論を持ち、複雑な計算も短時間で処理できるコンピュータがある現代において、新暦と旧暦の日付換算のために、わざわざ江戸時代の理論を使って計算する意味は無いでしょうから、そうしたことはされません(昔の計算を検証するといった特殊な例は除いて)。それに、当たり前に使っている一日の長さや、日付の変わる瞬間の定義も、江戸時代と現在では違ってしまっているので、仮に完全に天保暦と同じ定義で現代の日付の変換を行っても、混乱を招くだけの結果になることが予想されますから、無駄なことはしないにかぎります。

     このようなわけで、現在のカレンダーや、本に登場する「今日の旧暦」は、天保暦によく似た、「準天保暦」とでもいうべき暦での計算結果なのです。
     参考までに、天保暦の定義と、天保暦と現在のいわゆる旧暦との違いをまとめておきます(次の表)。
天保壬寅暦の定義いわゆる旧暦の定義(?)
1.太陽と月の視黄経が等しい時刻を朔とする  
2.暦日は京都における地方真太陽時正子(午前0時)に始まる 暦日は東経135度における地方平均太陽時(日本時)0時に始まる
3.暦月は朔を含む暦日に始まる  
4.暦月で冬至・春分・夏至・秋分を含むものはそれぞれ、十一月・二月・五月・八月とする  
5.閏は中気を含まない暦月に置く。中気を含まない暦月が全て閏月とはならない  
番外.  月・太陽の位置計算は、現在の天文定数・理論により導かれたものである

 旧暦の日付は、今でもよく見聞きしますが、その割りによく知られていない旧暦。この説明でいくらかでもその「旧暦」というものがわかっていただけたら、うれしいです。

 旧暦についてさらに興味のある方は旧暦の月の決め方旧暦の月名も併せてお読みください。また、実際に旧暦を求めてみたいという方には、旧暦と六曜を作りましょうに実習用として実例を掲載しましたので参照して下さい。
余 談
明治 6年からはグレゴリオ暦だった?
 明治改暦で、天保暦からグレゴリオ暦に変わったと書いてきましたけれど、明治改暦の詔書の文面には「グレゴリオ暦」という文字はどこにもありませんので、グレゴリオ暦への改暦と書いてしまっていいのかはやや疑問。まあ「グレゴリオ暦」という言葉は使っていない」というだけの話ですが。
明治 6年からはグレゴリオ暦だった? (その 2)
新暦時代の略本暦の表紙
昭和二年の暦(あれ?)
昭和二年の大正十六年暦
 明治改暦の詔書の内容のとおりにすると、うるう年の現れる回数が400年間に3回、グレゴリオ暦より多くなってしまいます。
 どうやら、詔書の原文を書いた方が間違えてしまっていたようです。そのままだと平年でないといけない明治33年(西暦1900)がうるう年なってしまう筈でしたが、幸い明治33年を迎える前(明治31年)に、この間違いは勅令によって修正されました。
 この修正のおかげで、それ以後の日本の暦は「グレゴリオ暦そっくりな暦」となりました。
 めでたしめでたし。
※記事更新履歴
初出 2001/01/20
修正 2010/02/11 (文章加筆修正)
修正 2020/08/29 (画像追加)
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