暦と天文の雑学
http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0765.html
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八十八夜
八十八夜は、暦の上では「雑節」と呼ばれるものの一つで、立春の日から数えて88日目の日が八十八夜です。
立春は 2/4頃ですから、指折り数えると・・・大変だけど閏年だと5/1頃、平年だと5/2頃がこれにあたります。
(指折り数えるのが大変な場合は、「日付の電卓」を使うという手もります・・・とちょっと宣伝)
暦の上に書かれる二十四節気や七十二候は中国で生まれたものが日本に伝えられたのですが、八十八夜は日本生まれ。中国の暦には無かったものですが日本にクラス人々の必要性から記載されるようになった言葉です。
日本の正式な暦に八十八夜が記載されるようになったのは、渋川春海による貞享の改暦(1684年)からだといわれています。もっとも当時既に伊勢暦などの地方の暦にはその記載が有ったというので、八十八夜という言葉自体は、貞享暦以前から存在していたことがわかります。
八十八夜と言えば冒頭の歌のとおり、お茶が思い浮かびます。昔から八十八夜の時期に摘まれた茶葉から作られた「茶」が特に上等で美味しいと言われてきたからでしょう。八十八夜の時期は茶の旬なのです。当然この時期には茶摘みも盛んに行われることから、茶摘みの歌があちこちで唱われたわけです。
●季節点としての八十八夜の役割
「八十八夜の別れ霜」という言葉があります。
八十八夜が暦に書かれるようになったのは、この言葉に表されるような、季節の移り変わりの「目印」(こういう目印を「季節点」といいます)としての役割からです。
農家にとって遅霜は恐ろしいものです。育ち始めた作物の若い芽、若い葉に霜が降りてしまうと、作物がだめになってしまいます。それまでの苦労と、その後に期待される一年の収穫が台無しになってしまいかねません。
春も終盤となって、もう大丈夫だろうと油断していると危ないよという警告の言葉が「八十八夜の別れ霜」という言葉です。ただこの言葉は見方を変えると、八十八夜を過ぎれば、そろそろ霜の心配をしなくてもよい季節だよと言うことでもあります。
農家の人にとっては厄介な遅霜ですが、理科年表などでその記録を調べてみると左の表のようになります。
遅霜の平均の時期を見ると3月末ごろですが、もっとも遅い記録などを見ると八十八夜以降の日付も多く存在します。まあこのような「記録的な遅霜」は別と、それを差し引いて考えれば八十八夜頃までは霜に注意が必要と言う指摘は妥当なところと言えるのではないでしょうか。
ここでは霜との関係で取り上げましたが、八十八夜は籾蒔きの時期や苗の生育の目安となる時期としても重要な農業上の季節点となっています。ちなみにこの八十八夜の3日後は立夏。暦の上ではもう夏。「夏も近づく八十八夜」なのです。
●「季節点」をなぜ立春の日付から数えるのか?
季節の移り変わりの目安として用いられる印を季節点というとは既に書いたとおりです。今回話題とした八十八夜もその一つ。二十四節気や他の雑節もまた暦の上に書かれた季節点です。
「八十八夜は、立春から数えて八十八日目の日」
というのは判ります。
「八十八夜の別れ霜」
も前の解説で示したとおりで、遅霜の警戒時期の終わりを示す言葉としては妥当だということも判ります。さらに、八十八夜が現在の5/1頃に当たるというのも判ります。ならば「立春から数えて八十八日目の日」なんて面倒なことを言わず、日付を使って
「五月朔日(ついたち)の別れ霜」
と言ってもよさそうに思ういますし、その方が覚えやすい気がします。なぜわざわざ立春から数えた日数なんていう面倒な表し方で季節点を示す必要があったのでしょうか?
八十八夜以外にも、立春から数えた日数で表される季節点としては「二百十日」「二百二十日」などがありますから、八十八夜だけが特別と言うわけではありません。でも立春から八十八日目が何月何日になるかを瞬時に計算できる人は少ないと思いますから「覚えやすい」という理由でこういう呼び名が生まれたとは思えません。
こんな風に八十八夜という言葉の成立した訳を考えてゆくと「旧暦は季節によくあった暦だ」という世間の常識(?)が間違いであることが判ります。確認のために新暦と旧暦で2021から 5年分の八十八夜の日付を新暦と旧暦でそれぞれ示してみると右の表のようになります。
ご覧のとおりで、新暦の日付はほとんど変わらないのに旧暦の日付の変化は結構大きいです。新暦であれば既に書いたとおり、八十八夜と言う代わりに「五月朔日の別れ霜」と言い換えることも出来そうですが、旧暦だと固定した日付で言い表すことは出来ません。
季節の移り変わりは、主として「太陽の動き」に関係しますから、どうしたって「太陽暦」である新暦の方が季節の移り変わりによくあった暦となってしまうのです。
旧暦では、この「季節の移り変わり」を日付によって表すことが難しいので八十八夜などのように太陽の動きに連動する季節点をわざわざ暦の上に書き込むことで、これを補う必要があったのでした。
そういえば、江戸時代に書かれた「東都歳時記」などを読むと「桜は、立春から五十四、五日後に咲き始める」といった記述を目にすることがあります。作物に限らず動植物の状況を示すのに立春(太陽の位置で決まる二十四節気の一つで、二十四節気の最初のもの)からの日数を目安にすることは一般的に行われることだったようです。
初出 2003
更新 2021/04/30
「八十八夜の新暦と旧暦の日付」の表示期間を2021-2025に修正。
画像追加。
更新 2022/04/28 文章の小修正。
- 夏も近づく八十八夜
- 野にも山にも若葉が茂る
あれに見えるは茶摘みじゃないか 茜襷に菅の笠
八十八夜は、暦の上では「雑節」と呼ばれるものの一つで、立春の日から数えて88日目の日が八十八夜です。
立春は 2/4頃ですから、指折り数えると・・・大変だけど閏年だと5/1頃、平年だと5/2頃がこれにあたります。
(指折り数えるのが大変な場合は、「日付の電卓」を使うという手もります・・・とちょっと宣伝)
暦の上に書かれる二十四節気や七十二候は中国で生まれたものが日本に伝えられたのですが、八十八夜は日本生まれ。中国の暦には無かったものですが日本にクラス人々の必要性から記載されるようになった言葉です。
日本の正式な暦に八十八夜が記載されるようになったのは、渋川春海による貞享の改暦(1684年)からだといわれています。もっとも当時既に伊勢暦などの地方の暦にはその記載が有ったというので、八十八夜という言葉自体は、貞享暦以前から存在していたことがわかります。
八十八夜と言えば冒頭の歌のとおり、お茶が思い浮かびます。昔から八十八夜の時期に摘まれた茶葉から作られた「茶」が特に上等で美味しいと言われてきたからでしょう。八十八夜の時期は茶の旬なのです。当然この時期には茶摘みも盛んに行われることから、茶摘みの歌があちこちで唱われたわけです。
●季節点としての八十八夜の役割
「八十八夜の別れ霜」という言葉があります。
八十八夜が暦に書かれるようになったのは、この言葉に表されるような、季節の移り変わりの「目印」(こういう目印を「季節点」といいます)としての役割からです。
農家にとって遅霜は恐ろしいものです。育ち始めた作物の若い芽、若い葉に霜が降りてしまうと、作物がだめになってしまいます。それまでの苦労と、その後に期待される一年の収穫が台無しになってしまいかねません。
場所 | 平均 月日 | 最遅記録 | 統計 開始年 |
---|---|---|---|
那 覇 | **** | ********* | 1961 |
鹿児島 | 3/11 | 1929/4/22 | 1916 |
福 岡 | 3/21 | 1913/5/11 | 1891 |
高 知 | 3/26 | 1947/4/23 | 1886 |
京 都 | 4/09 | 1928/5/19 | 1882 |
大 阪 | 3/19 | 1940/5/06 | 1911 |
名古屋 | 3/29 | 1902/5/13 | 1892 |
静 岡 | 3/29 | 1956/4/30 | 1877 |
東 京 | 3/13 | 1926/5/16 | 1877 |
仙 台 | 4/18 | 1928/5/20 | 1927 |
札 幌 | 4/25 | 1908/6/28 | 1886 |
農家の人にとっては厄介な遅霜ですが、理科年表などでその記録を調べてみると左の表のようになります。
遅霜の平均の時期を見ると3月末ごろですが、もっとも遅い記録などを見ると八十八夜以降の日付も多く存在します。まあこのような「記録的な遅霜」は別と、それを差し引いて考えれば八十八夜頃までは霜に注意が必要と言う指摘は妥当なところと言えるのではないでしょうか。
ここでは霜との関係で取り上げましたが、八十八夜は籾蒔きの時期や苗の生育の目安となる時期としても重要な農業上の季節点となっています。ちなみにこの八十八夜の3日後は立夏。暦の上ではもう夏。「夏も近づく八十八夜」なのです。
●「季節点」をなぜ立春の日付から数えるのか?
季節の移り変わりの目安として用いられる印を季節点というとは既に書いたとおりです。今回話題とした八十八夜もその一つ。二十四節気や他の雑節もまた暦の上に書かれた季節点です。
「八十八夜は、立春から数えて八十八日目の日」
というのは判ります。
「八十八夜の別れ霜」
も前の解説で示したとおりで、遅霜の警戒時期の終わりを示す言葉としては妥当だということも判ります。さらに、八十八夜が現在の5/1頃に当たるというのも判ります。ならば「立春から数えて八十八日目の日」なんて面倒なことを言わず、日付を使って
「五月朔日(ついたち)の別れ霜」
と言ってもよさそうに思ういますし、その方が覚えやすい気がします。なぜわざわざ立春から数えた日数なんていう面倒な表し方で季節点を示す必要があったのでしょうか?
八十八夜以外にも、立春から数えた日数で表される季節点としては「二百十日」「二百二十日」などがありますから、八十八夜だけが特別と言うわけではありません。でも立春から八十八日目が何月何日になるかを瞬時に計算できる人は少ないと思いますから「覚えやすい」という理由でこういう呼び名が生まれたとは思えません。
こんな風に八十八夜という言葉の成立した訳を考えてゆくと「旧暦は季節によくあった暦だ」という世間の常識(?)が間違いであることが判ります。確認のために新暦と旧暦で2021から 5年分の八十八夜の日付を新暦と旧暦でそれぞれ示してみると右の表のようになります。
西暦年 | 新暦 | 旧暦 |
---|---|---|
2021 | 5/1 | 3/20 |
2022 | 5/2 | 4/02 |
2023 | 5/2 | 3/13 |
2024 | 5/1 | 3/23 |
2025 | 5/1 | 4/04 |
季節の移り変わりは、主として「太陽の動き」に関係しますから、どうしたって「太陽暦」である新暦の方が季節の移り変わりによくあった暦となってしまうのです。
旧暦では、この「季節の移り変わり」を日付によって表すことが難しいので八十八夜などのように太陽の動きに連動する季節点をわざわざ暦の上に書き込むことで、これを補う必要があったのでした。
そういえば、江戸時代に書かれた「東都歳時記」などを読むと「桜は、立春から五十四、五日後に咲き始める」といった記述を目にすることがあります。作物に限らず動植物の状況を示すのに立春(太陽の位置で決まる二十四節気の一つで、二十四節気の最初のもの)からの日数を目安にすることは一般的に行われることだったようです。
後日追記 2008/04/29
「なぜ八十八夜なのか」について、中山和久様より次のようなお便りを頂きました。
----------
ご存知の通り、月の満ち欠けは約29.530589日周期ですから、立春の月の形を覚えておけば、3回目の同じ月の夜が88.591767夜となりますので、非常にカウントしやすかったのだと思います。
小生も、なぜ「立夏の別れ霜」ではいけなかったのか不思議でしたが、あくまでも八十八日ではなく八十八夜なんですね。
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傾聴すべきご意見かと思います。
旧暦時代ですから、同じくらいの月が見えると言うことは、ほぼ同じ日付けということにもなります。試しに2007,2008,2009年の立春と八十八夜の日の月日を並べてみると
旧暦の月日を見ると、立春と八十八夜の日付は善く連動しているのがわかります(日付だけ見ると1ないし2日ずれますが、これは88.59・・の端数分と八十八夜が立春を0ではなくて1と数え始めることからこうなります)。ちなみに、2009年を例としてみるとざっとこんな感じになります。
これを見ると、もし立春の日の月が上弦半月に近い月だったとしたら、八十八夜の日の夜にも上弦半月かそれに近い月が見えることになります。日数を細かく数えなくても月の形で、およその見当がつくことになります。なるほどね。
「なぜ八十八夜なのか」について、中山和久様より次のようなお便りを頂きました。
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ご存知の通り、月の満ち欠けは約29.530589日周期ですから、立春の月の形を覚えておけば、3回目の同じ月の夜が88.591767夜となりますので、非常にカウントしやすかったのだと思います。
小生も、なぜ「立夏の別れ霜」ではいけなかったのか不思議でしたが、あくまでも八十八日ではなく八十八夜なんですね。
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傾聴すべきご意見かと思います。
旧暦時代ですから、同じくらいの月が見えると言うことは、ほぼ同じ日付けということにもなります。試しに2007,2008,2009年の立春と八十八夜の日の月日を並べてみると
西暦年 | 旧暦日付 | 新暦日付 | ||
---|---|---|---|---|
立春 | 八十八夜 | 立春 | 八十八夜 | |
2007 | 前12/17 | 3/16 | 2/4 | 5/2 |
2008 | 前12/28 | 3/26 | 2/4 | 5/1 |
2009 | 1/10 | 4/8 | 2/4 | 5/2 |
旧暦の月日を見ると、立春と八十八夜の日付は善く連動しているのがわかります(日付だけ見ると1ないし2日ずれますが、これは88.59・・の端数分と八十八夜が立春を0ではなくて1と数え始めることからこうなります)。ちなみに、2009年を例としてみるとざっとこんな感じになります。
立春の夜 |
⇒⇒ |
|
⇒⇒ |
|
⇒⇒ |
八十八夜 |
---|
これを見ると、もし立春の日の月が上弦半月に近い月だったとしたら、八十八夜の日の夜にも上弦半月かそれに近い月が見えることになります。日数を細かく数えなくても月の形で、およその見当がつくことになります。なるほどね。
- 余 談
- 茶摘みは夜?
- 冒頭に書いた唱歌、茶摘みから「八十八夜」と「茶摘」の関係が特に気になったのでしょう、次のような質問をされたことがあります。
「八十八夜の茶摘みとは、夜に行われていたんでしょうか?」
歌の最後に「茜襷に菅の笠」とあります。夜では月夜だって襷がけだとか菅の笠だとか細かなところは見分けにくいだろうし、ましてや襷の色までわかるはずがない。この情景はもちろん昼の情景です。それなのに「八十八夜」とはこれいかに?
この場合の「夜」は「日」と同じ意味で使われています。「八十八夜」は「八十八日」と同義。
古代には、1日の始まりを日没としたと言われていますが、日にちを数えるのに夜をもってするのはこの辺の名残なのではないでしょうか。 - 八十八夜の別れ霜は、当日の朝? それとも夜?
- 八十八夜の別れ霜は、その前日夜から当日の朝にかけての霜か、それとも、当日夜から翌日朝にかけての霜か?
と、これまた尋ねられたことがあります。
元々「遅霜に注意しましょう」という目安だから、1日違うと間違いといった性質のものではないですが、それはそれとしてここで使われる「夜」の意味に絞って考えれば、
「当日の夜から、翌日の朝にかけて」
が正しいと思います。
先に書いたとおりここでの「夜」は「日」と同義で使われている「夜」だからです。
例として思い浮かぶものは「十五夜の月」。ご存じの通りこの十五夜の月は旧暦の十五日の月。旧暦の十五日前後の時期には月は夕方に昇って朝方に沈むので、旧暦十四日に昇った月も十五日の朝に見ることが出来るのですが、
次の十五夜には、月見でもしましょう
と言ったときに、十四日の夜から十五日の朝まで見えている月を眺めることだと考える人はいないでしょう。あくまでも「十五日の夜に昇る月」が月見の対象となります。八十八夜の別れ霜もこれと同じことと考えます。
- 野良の「茶の木」
- 余談の冒頭に使った写真の茶の木ですが、これは自宅の裏山に生えているお茶の木です。人間が植えたものなのでしょうが、手入れされなくなって少なくとも十数年。野生化して、今は人の手を借りずに元気で生きているお茶の木です。人間の手で植えられので野生の木とは言いにくい。そんなわけで野良の茶の木ってところでいかがでしょう?
初出 2003
更新 2021/04/30
「八十八夜の新暦と旧暦の日付」の表示期間を2021-2025に修正。
画像追加。
更新 2022/04/28 文章の小修正。
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